ウェットスーツのウェットマン(仮)

状態
完結
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426ウェット ◆QzQurztg
某企業の○周年のイベント。
社員と、その家族を招待したちょっとしたパーティだ。
そのパーティのメインのイベントであるウェットマンのミニショー。
そのショーが、たった今、終了したばかりだ。
2体の怪獣が控え室にはけていく。
ウェットマンもポーズを決める。
シュー、シュー、シュー、シュー。
自分の呼吸音だけが、面の中に大きく響く。
ポーズが決まり、ステージを去ろうとした瞬間、最前列の子供たちが飛び出してきた。
あっという間に、子供たちに取り囲まれるウェットマン。
助けを呼ぼうとしたが、MCはすでに怪獣を導線しながら会場を後にしていた。
「まあ、ちょっと子供の相手してから帰るかな」
子供には、ウェットスーツの手触りが珍しいのかな?
何故か知らないけど、股間を一生懸命触ってくる子供もいる。
ひとしきり遊んで、子供たちも飽きてきたのか、バラバラと散っていく。
そして、いざ帰ろうとすると、
「ちょっと待った! ウェットマン」
声に振り向くと、そこには酔っ払いのオヤジがいた。
427ウェット ◆QzQurztg
オヤジは、なれなれしく絡んできた。
「はあ~」
アルコール臭い息が、面の目と口の隙間から入ってきた。
「君のウェットマン、もうちょっと動きが良ければなあ…」
ビールをグラスに注ぎ、飲み干すオヤジ。
「君も一杯…そうか、その格好じゃ飲めないな…」
うんうんとオーバーアクションでうなずいてみる。
「そうだ! 顔だけ、顔だけ出そう!」
必死で逃げるウェットマン。
「逃げちゃだめ! ウェットマン君! 待ちなさいっていうの!」
テーブルには、料理や飲み物がたくさん乗っている。
視界の悪いスーツで、そんなテーブルをすり抜けるのは、至難の業だった。
「ほーら、逃げちゃだめだよ」
ウェットマンはすぐに、酔っ払いオヤジにつかまった。観念するしかないのか…
後頭部のファスナーに手がかけられる。
ジッー。
ファスナーが下ろされる。
ウェットマンのスーツと一体型になった面が外され、中の顔があらわになった。
428ウェット ◆QzQurztg
「あれ? 女の子なの?」
さやかは、汗だくの顔でハアハアしている。
酔っ払いオヤジは、さやかの顔を凝視した。
酔っ払いオヤジに無理矢理脱がされたという屈辱に、さやかは顔をゆがめた。
でも、新鮮な空気がいっぱい吸えて、気持ちがいい。
「飲める?」
ビールとグラスを指し出すオヤジ。
もうやけだ。
グラスのビールを一気に飲み干した。
ショー後のビールの旨いこと。
「いい飲みっぷりだね」
オヤジは再びグラスにビールを注ぐ。
それをすぐまた飲み干す。
どれくらい飲んだだろうか。
さやかは、尿意をもよおした。
429ウェット ◆QzQurztg
酔っ払いオヤジに体よく断りを入れて、さやかは会場を出て、トイレに向かった。
ファスナーを下ろし、顔を出したまま廊下を走った。
面が胸のクリアパーツにぶつかって傷つかないよう、手で支える。
個室に入り、ウェットマンを脱ぐ。
下は、Tシャツにスパッツといういでたちだ。
安堵の表情で、用を足す。
「ふー」
水を流して、再びウェットマンのスーツを着る。
さっきは、もれそうで慌てて顔を出したまま廊下を走ってきたが、戻るときはそうはそうもいかない。
ウェットマンのスーツ。
スーツと面が一体型で、背中にお尻から頭のてっぺんまでのファスナーがある。
面が別パーツのタイプもあるが、さやかが着ている初代ウェットマンは、オーソドックスな一体型だ。
プロテクターがついているウェットマンだと難しいが、初代のように装飾がないタイプの場合、体が柔らかければ一人で脱ぎ着ができる。
さやかも例外ではなかった。
さやかは再び、律儀にウェットマンを着なおした。
「この感覚、好きかも…」
430ウェット ◆QzQurztg
事務所から連絡があったのは、お昼すぎだった。
「ごめん、さやか。今日これから現場は入れる?」
「誰かドタキャンですか」
「ピンポーン」
「モノはなんですか?」
「ウェット」
「えー! 怪獣ですか?」
「うんにゃ」
「スタッフ?」
「うんにゃ」
「まさかこの私にMCとか?」
「うんにゃ」
「え? じゃあ何なんですか?」
「だから、ウェットだって言ったじゃん」
「へ?」
「ウェットマン!」
「私が?」
「今日、動ける男連中全部出払っちゃってるからさ、さやかしかいないんだよ」
さやかは、前からウェットマンを着てみたくて仕方がなかった。
事務所の人事担当から強く言われて仕方なくといった風を装って、OKしたのだ。
431ウェット ◆QzQurztg
廊下を歩いて、パーティ会場へ戻るウェットマン。
「あれ? どこだったかなあ」
会場がわからなくなった。
試しに扉を開ける。
片っ端から扉を開けるが、どこも違う。
ウェットマンを着たまま廊下を徘徊するさやか。
「あーん」
ようやく会場の部屋にたどりついたが、すでにパーティは終了しており、誰もいなかった。
「え? もう終わってんの?」
パーティ会場を出て、さやかは控え室に向かった。
×    ×    ×
控え室では、撤収が行われていた。
「帰り渋滞に巻きこまれるの嫌だから急げよ」
「はーい」
「忘れ物ないか?」
「あれ? さやかさんは?」
「彼女、家が近いから直帰だって言ってなかったっけ」
「そう? じゃあOKね」
「お疲れ様でーす」
432ウェット ◆QzQurztg
ようやく控え室にたどり着いた。
しかし、様子がおかしい。
室内は真っ暗だった。
着替えや私物を入れていたロッカーを開ける。
しかし、入れておいたはずのものが、そこにはない。
焦るウェットマン。
急いで部屋を出て、搬入口へ向かう。
車のエンジン音がする。
まさか。
ドアを開け、外を見ると、事務所のワゴン車だった。
「待ってー!」
ウェットマンを着たまま喋った声が、エンジンをかけた車の中には届くはずはない。
慌てて車へと走るウェットマン。
しかし、ドア脇にあったゴミの山に足を取られて、転倒してしまった。
無常に去っていくワゴン。
さやかは、ひとり取り残されてしまった。
ウェットマンを着たまま、ゴミに埋もれて。
433ウェット ◆QzQurztg
背筋を伸ばして、後頭部のファスナーを右手でさぐる。
が、ファスナーがつかめない。
ファスナーの一番上の部分を触ってみた。
どうやら、何かのはずみで、ファスナーのつまみが飛んでしまったようだ。
「!」
指先で根本をつまんでゆっくり下ろせばいけるかも。
しかし、手袋が脱げない。
マニア諸氏にはおわかりだろうが、さやかの着ている初代ウェットマンは、手袋の継ぎ目を廃した衣装だった。
アトラク用は、ウェットスーツの上から手袋をはめるのではなく、先に手袋をはめてからウェットスーツを着るしくみになっていた。
しかも、汗吸収用に、下手袋をはめている。
指先の細かい作業など、とてもじゃないができない。
「どうすればいいの!」
あせり始めたさやかの動悸は、だんだんと激しくなってきた。
「もう、このままずっと着ているしかないのかしら?」
そう思ったさやかは、その場にへたり込んだ。
そして、今までの疲れが一気に出て、深い眠りについた。
434ウェット ◆QzQurztg
目が覚めた。
相変わらず狭い視界。
頭の中は、ボーっとしたままだ。
後頭部を誰かに抑えられる。
少し、押される感じだ。
そして、ファスナーがゆっくり下ろされる。
「誰?」
ファスナーを下ろされた手によって、面が脱がされる。
そこは、見慣れた事務所の稽古場だった。
事務所のメンバーが、さやかを見てくすくすと笑っている。
なんとなく、記憶がよみがえる。
女の子メンバー同士、事務所でふざけて、ウェットマンのスーツを着てみた。
「ほらこれ!」
携帯カメラで撮った写真をさやかに見せるメンバー。
身長が146センチのさやかが着たウェットマンは、スーツはシワだらけ、頭でっかちの、それはもう笑えるものだった。
照れ笑いするさやか。
股のところがごわごわする。
「この感覚、好きかも…」


おしまい