マスコットとパラサイト

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完結
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23,314
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46
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90600/00 ◆XksB4AwhxU
一応、書けましたが
だらだら書く内に長くなってしまいました。
気長にお付き合い下さい。

ちなみにうろ覚えの知識で書いていますので
名称など間違ってるかもしれません。
90801/44 ◆XksB4AwhxU
マスコットとパラサイト

【 -無職 遊園地へゆく- 】

実家に戻って、はや三週間。
無職になって何日たったか…。
無気力になると、こうも時の流れが早いとは知らなかった。
出版業の不況っぷりは最早、驚く価値すら無いものだが
我が身に降りかかってくると、やっぱり驚くものだった。
始めは優しく迎えてくれた親も一週間もすると疎ましくなって来たのか
「早く職を捜せ」と(当然だが)小言を言うようなった。
だがどうにも、その気になれない俺は人目を避けながらブラブラと土手沿いを歩き
川を眺めながら時間を潰す。
ひと足どころか、四五足はやく味わう人生の黄昏時。
土手に寝そべりながら飲む缶コーヒーは現実逃避の味がする。
そんなある日メイプルランドが閉園になるという話を耳にした。

メイプルランドは小さな遊園地だ。
ただ遊園地自体、森の中にあるので空から見るとそれなりに大きく見える。
小さいながらも、観覧車からジェットコースターまで一通り揃っていて
幼稚園や小学校の遠足の定番の場所だった。
俺自身、親に何度か連れて行ってもらったし遠足でも行った。
当時の事を思い出すとノスタルジックな気分になり
楽しかった想い出が次々と甦る…。
と同時に言い様のない寂しさに捕らわれた。
90902/44 ◆XksB4AwhxU
次の日、俺はデジカメを手にメイプルランドに向けて車を走らせていた。
これも何かの縁だろう。
時間がある内に、想い出の場所がなくなる前に、懐かしの風景を焼き付けることにした。
森の中に続くひび割れたアスファルトを走る。
気持ちの良いくらい道が空いている。
何故か対向車線まで空いている。
そしてその答えは、眺めの良い駐車場に集約されていた。
広い駐車場は平日とはいえ、見事にガラガラだった。
(本当に営業してんのか…?)
不安になりながらもデジカメを手にゲートに向った。

入園料1200円を払いゲートをくぐりエントランスに出る。
と、ここまで来て違和感を憶えた。
記憶の中のメイプルランドと様子が違う。
俺の記憶では、もっと野暮ったい遊園地だった筈だが、かなりシャレた造りになっている。
売店のオバさんに聞いてみると、八年程前に一度リニューアルしたとの事。
(最後に来たのが確か小学生の時だったから……)
ずっしりと重い落胆に襲われた俺は、ジュースを買いベンチに座って呆けた。
91003/44 ◆XksB4AwhxU
何と言うことはない。
想い出の場所など、とうの昔になくなっていたのだ。
溜息をストローに吹き込みブクブクさせながら、周りの見慣れぬ遊園地を眺める。
目の前を横切る親子連れがチラリと俺を見た。
ふと気付いたのだが…他人から見ればイイ歳こいた男が平日の昼間
一人で遊園地に遊びに来ている様にしか見えない訳で…。
それは間違いではないのだが、その事に気付いてしまうと急に恥かしくなる。
俺はジュースを一気に飲み干し、ベンチをそそくさと後にした。
ここまで来てしまったのだから仕方が無い。
開き直りつつ当初の目的通り園内を撮影することにした。

一通り園内を周ると当時の面影があちらこちらに有った。
ほとんどの乗り物は、塗装と飾り付けを変えただけのような気がする。
あの頃、豪華に見えたここの設備も大人になってから見ると…
特に都心の大型アミューズメントパークと比べると、悲しい程地味に見えた。
案内の看板は色あせ、鉄柵の隅には錆びが浮いている。
【ご利用の際は係の者にお申しつけ下さい】の看板が掛けられ
停まったままの乗り物もいくつかある。
遊園地という華やかな空間と経営難という現実とのギャップが
物悲しさを一層際立たせ憂鬱な気持ちにさせる。
「はぁ…」
空しい溜息をつき、俺は帰ることにした。
流石に一人で乗り物に乗る勇気も気力もない。
とぼとぼとゲートに向う途中、エントランスの広場に女の子が立っていた。
91103/44 ◆XksB4AwhxU
メイプルランドのマスコット《ケーキちゃん》だった。
白とピンクのエプロンドレス姿で腰まで届きそうな二本の三つ編みオサゲ。
昔は、もっと巨大な頭でエグイ顔立ちだった気がするが、可愛らしいデザインに一新されている。
その横を素通りする田舎のヤンキーといった感じのカップルと、可愛くないガキを連れた親子連れ。
一生懸命に手を振るが、ものの見事にシカトされていた。
悲しそうに俯くケーキ。だが気を取り直したのか胸を逸らし辺りを見回し…。
俺と目が合った。
でかい瞳の顔がこっちをピタリと捕え、次の瞬間両手を振りながら俺の方に走って来た。
(うおっ…)突然の出来事に驚く。
そして目の前に来るとスカートの裾を広げながら身体を傾け挨拶してきた。
「あ…どうも…」
彼女?は、どうやら写真用のポーズをサービスしているらしい…。
慌ててカメラに収めると次に口に手をやり微笑みを隠すような仕草。
それを撮ると次のポーズ、また撮ると次のポーズ。断るのも悪いので結局十枚ほど撮った。
「悪いね。サービスしてもらって、それじゃ…」
帰ろうとする俺の腕をガシッと掴む。
「え゙?」
意表を突かれ、あっけに取られてる俺の腕をグイグイ引っ張り
どこかに連れて行こうとする。
「ちょ、待て。引っ張るな。引っ張らなくても着いて行くから!」
その言葉に引く手を緩め、それでもシッカリと手を握り俺を誘導していくケーキ。
91205/44 ◆XksB4AwhxU
「ここは?」
着いた先は、ファンシーショップとかギフトショップとかいう類の店だった。
いかにも女性向け子供向けのグッズが並び、ちょっと遠慮したい空間だ。
クッキー缶やマグカップなどにマスコットのホット君とケーキちゃんがプリントされ
結構な値段で並べられていた。
「…ひょっとして、ここで何か買え…と?」
俺の問いにコクコクと何度も頷くケーキ。
「はぁ…」今日、何度目かの溜息をつき俺は店の中に入った…。

驚いた事に店の中にまでケーキが入ってきた。
なるべく安い品を物色する俺に、無駄にデカイぬいぐるみや目覚まし時計?などを奨めてくる。
それらを断固拒否し200円のキャンディ一袋でお茶を濁そうとしたが
レジに行かせまいと、俺の腕をつかむ。
結局500円のクッキー缶を上乗せする事により妥協点を見出した。
レジのオネーさんが笑いながらバーコードを読み取る。物凄く恥かしい…。

「それじゃ…おいっ!」
店を出て帰ろうとする俺の腕をまた掴み別の場所へ。
今度は薄汚れたプリクラの前だった。
「今度はプリクラを撮れと?一緒に?」
コクコクと頷くケーキ。
「はぁ…」どうにもムゲに断ることが出来ない。
愛らしい面の下で汗まみれで頑張っている娘(多分)を想像すると、どうにも気が引ける。
俺の中で、こういった着ぐるみを着る人は売れないで苦労している役者という偏見があった。
代金は当然俺が出すことになる。
「背景は何がいい…?」
すっと、ケーキが指差す。
91306/44 ◆XksB4AwhxU
大きなハートの中でギコチナク笑う俺と微笑むケーキ。
もっともケーキの顔は、終始微笑んだまま固まっているが…。
『もっと自然な笑顔で!スマイルスマイル♪』
(!?)撮られる瞬間、ケーキが喋った。
いきなり着ぐるみが喋った事に驚く。
≪ハイ!チーズ!≫プリクラから鼻にかかった変な声が響く。
「…喋っていいのか?」
確か、遊園地の着ぐるみが客と喋るのはNGだったはず。
『ホントは、いけないんだけど。今なら誰もいないから』
確かに二人きりだ。
だが初対面の…それも遊園地のマスコットに親しくされる憶えはない。
ひょっとして中に入っているのは、知り合いだろうか…?
『ここまで付き合ってくれたゲストは、あなたが初めてだから嬉しくて』
(ああ…)なんとなく納得がいった。普通は恥かしくてすぐに逃げてしまうのだという。
「いや、俺はただ…」
流されただけ…と、続けるのに躊躇いを感じる。
「なんか楽しそうだったから…」誤魔化すようにそう答えた。

外に出て半分コにしたシールをケーキに渡した。
「ホントに、こんなもの欲しいのか?」
俺の問いにコクコクと頷くケーキ。
プリクラを出たので本来のマスコット業務に戻ったようだ。
シールを手に取ると大袈裟にハシャギ、ポケットに仕舞う。
そして俺の顔に近づき耳元で
『ちょっと待てって!』そう言い残し早足で駆けて行った。
(まさか、まだ何かに付き合わされるんじゃないだろうな…)
五分もしない内にケーキは戻って来た。
そして別のポケットから、入園半額の割引券のシートを取り出し俺に渡して来た…。
91407/44 ◆XksB4AwhxU
【 -マスコットの憂鬱- 】

もうすぐグリーティングの時間が来てしまう。
ゲストは少なくなっているのに、ゴミが一行に減らないのは、モラルの問題に違いない。
お陰で慌てて着替える羽目になった。
黄色の作業着と帽子をテーブルの上に脱ぎ捨てて、洗いざらしのタイツに身体をもぐり込ませる。
鏡には、顔の部分だけ露出した自分の姿。
全身タイツは自信のない顔を強調されているみたいで好きになれない。
恥かしいので、さっさと着替える。
白のソックスを履きハンガーに掛けられたエプロンドレスを手に。
「…ちょっと…臭う…かな…」
ドレスみたいな特別な衣装は、タイツみたいに洗濯機に放り込めばOKと言う訳には行かない。
取り合えず消臭剤を吹きかけて、誤魔化しておく。
ドレス自体、全部一体になっている着ぐるみなので簡単に着れるのは良いが、かなり厚手な上に重い。
唯一の問題点である背中のチャックを一人で難なく閉められるのは、ちょっとした特技だと思う。
ドレスを着た後にカボチャみたいな下着を履き、リボンの付いた皮靴を履けば身だしなみは、ほぼ完成。
仕上げに棚に置かれた赤毛のお面を手にする。
髪が赤いのは、赤毛のアンをイメージしているからだ。
中から固定用のベルトを引っ張り出し、それを取っ手代わりに面を被る。
視界が極端に狭くなると同時に、耳障りな呼吸音が響き渡る。
鼻には時間のたった汗の臭い。
面の中に染み付いた臭いは、いくら消臭剤をかけても気になった。
面をきっちり固定し、鏡の前に立ちくるりと一回転。
スカートとオサゲが広がり宙を舞う。
『よし!カンペキ』
91508/44 ◆XksB4AwhxU
ここに来て5年が過ぎた…。
5年経って、まさか一人で着替える羽目になるとは思ってもいなかった。
その頃は、まだスーツアクターやダンサーも沢山いたのだが…。
客の急激な落ち込みに併せてパレードが中止になりイベントの回数も減り続けた。
今やパレードに欠かせないフロートは、車庫で眠ったまま。
使われなくなった着ぐるみは、ビニールに包まれながらホコリを被っている。
悲しいけど時代の流れと言うしかない。
一緒にいたメンバーも引退したり、条件のいい場所に移ったりで次々と辞めていった。
私も誘われたがどうしても、この遊園地を見捨てる気になれず結局残ることにした。
社員でさえ自分の持ち場は自分で掃除し、時に雑用をこなし
時にチケットを切り、時にお客を誘導する。
そんな涙ぐましいコスト削減も時代の流れには逆らえず近々閉園を迎えることになってしまった。
私の今の仕事は、主に園内の掃除とケーキちゃんの着ぐるみを着てゲストを楽しませることだ。
一応、ホット君というキャラクターとメープルという熊のキャラクターは、休日にだけ出るが…。
中に入っているのは普段、営業で旅行代理店をまわっているNさんとEさん。
共に40過ぎで子持ち。
クジ引きで決まったらしいが、その実状を知った上で必死に繰演する二人を見ると心が痛い…。
だからこの事は、色々な意味で知られてはイケナイ機密事項だ。
(よしっ!そろそろ行くぞっ!)
時計を確認し自分に気合を入れ出発!
関係者以外立ち入り禁止の重い扉を開け、いざ夢の国へ。
そして一歩を踏み出した瞬間、私の心はメイプルランドの住人ケーキちゃんになる…。
91609/44 ◆XksB4AwhxU
(はぁ…)
夢の国は、今日も暇だった。
都心の遊園地が閉園になると決まれば、それを惜しむ客で混雑するらしいが
田舎のマイナー遊園地では、それすら叶わなかった。
ポツポツといるゲストに手を振っても写真すら撮ってもらえない。
それどころか、さっき掃除した場所にタバコをポイ捨てする場面を見てしまい悲しくなった…。
落ち込みつつも気を取り直し辺りを見回す。
狭い視界にカメラを手にした男性を見つけた。
待ち望んでいた 《閉園を惜しむ客》 に違いない!私の直感がそう告げる。
猛然と駆け寄り、ポーズを決める。
男性は、ちょっと怯えていたが快く?写真を撮ってくれた。
背もある。
顔も悪くは無い。
これを逃がす手はない。
このゲストに特別サービスをすることにした。もちろん仕事も忘れてはいない。
まずは、キャラグッズのお店へ行きお土産をねだってみよう♪
91710/44 ◆XksB4AwhxU
【 -無職 ふたたび- 】

2日後、俺は半額券を手に再び遊園地の前まで来ていた。
どうにもあのマスコットの中身が気になる。
面から響いて来た声に聞き覚えはない。
だが声自体が可愛く(ひょっとしたら物凄く可愛いコが中に入っているのでは…)
と、淡い期待が膨らみ好奇心が押えられなくなった。
ちょっとワクワクしながら園内に入…って。
ゲートをくぐってて肝心なことを思い出した。
マスコットとはいえ、必ずしも居るとは限らない。時間帯やお客の入り具合。
それに他のマスコットが出ている可能性もある。
ここの遊園地には、兄貴のホット君なる吊りズボンの男の子とか
メイプルという某 蜂蜜大好き熊のパクリっぽいキャラとか、他にも何匹かいた筈…。
とんでもない無駄足になる不安に駆られながら客の多そうな場所を捜した。

(いた!)幸いあっさり見付ける事が出来た。
今日は腕に小さなバスケットを抱えている。中に入っているのは多分キャンディだろう。
それを子供に配っている。
飴を貰った子供は、お礼?に手を振りケーキもそれに応える。
だがやはり子供は子供なのですぐに興味を失い親をせかして移動していった。
後には、ポツンと佇むケーキ。
その様はブームが去って中古屋ワゴンの主(ぬし)になっている
アーティストを見たようなせつないものがあった。
91811/44 ◆XksB4AwhxU
声をかけるべきか躊躇っていると、前と同じように眼があった。
そして同じように視線をロックし一直線に駆け寄ってきた。
「よ…よぉ…」
ぎこちなく笑う。
『来てくれたの!ありがとー♪』
今日は、いきなり喋り出した。ある意味VIP待遇かもしれない。
「折角貰った券だし…」ポケットから半額券の残りを取り出しヒラヒラさせる。
「…それにしても相変わらず人気がないんだな」
照れ隠しに、そんなことを言ってみた。
それを聞いたケーキは、プンプンと怒った仕草。
とっさに喜怒哀楽を身体の動きで表現する辺り、流石プロだと感心する。
「ところで…」
ここまで来たは良いが、その先のことは考えていなかった。
いきなり 《お面取って顔を見せてくれ》 とは言い辛い。
(携帯の番号でも聞いてみるか…?)
いや…浦安に行って黒ネズミに同じお願いをする場面を想像すると…
やっぱり非常識に思える。
ケーキが(どうしたの?)と言わんばかりに俺の顔をじっと見つめる。
「あ…え、と…どこかオモシロそうな場所ない?」
心を見透かされた気がして、シドロモドロになりながらそう応えた。
91912/44 ◆XksB4AwhxU
ゲストと写真を撮ったり遊んだりする事をグリーティングというらしい。
客と一緒に遊ぶのも仕事の内ということだ。
それは、あくまで子供を対象にしたモノ、じゃないかと思うのだが
ケーキは俺を観覧車に案内し、俺より先にゴンドラに乗り込み手招きする。
しっかりケーキの分まで乗り物券を取られた。
何か納得いかない…。
ちょっと躊躇いつつ中に入り、向いに座る。
目の前には、ちょこんと座るケーキ。
白の靴下に赤いリボン付きの靴。
服装はピンクと白のエプロンドレス。
スカートからはペチコートのフリルがちょっとだけ見える。
腕や脚は、白と肌色の中間のような色のタイツに覆われ
生身の部分を完全に覆い隠していた。
顔はバイクのフルフェイスより二回りは大きそうだ。
おおきな瞳と小さな突起のような鼻。笑ったままの口は、ピンクの舌と赤いメッシュ生地。
頬には、ソバカスが画き込まれ、ほんのりと朱が混じっている。
こうして見ていると結構可愛いかもしれない。
窓の景色がゆっくりと下がって行き、ゴンドラが木々を抜け視界が開かれてゆく。
「…観覧車って面白いか?」
俺の問いにコクコク頷く。
「お前が乗りたかっただけだろ?」
《バレたか》とジェスチャー。
「普通に喋れよ」と突っ込みを入れた。
92013/44 ◆XksB4AwhxU
「そういえばツガイ…じゃないお兄ちゃんとペットは?」
『え…?』
俺の質問に面の中から素っ頓狂な声が響いた。
「吊りズボンの兄貴と他の動物達を全然見ないんだけど」
『あっ…ああ…えと…その…』
俺の質問にゴニョゴニョと言葉を濁す。
「もしかして経費削減…?」コクンと頷くケーキ。
話によると人件費を浮かせる為、キャストの数を減らしたという。
ホット君とメイプルに入る役者さんは、休日など客足が見込める時にしか来ないらしい。
その日以外は、彼女(中身の方)がホット・ケーキ・メープルの
三体を代わる代わるやっているのだという。
『でも他の人が入ったキャラクターに入るのは、ちょっと…えへへ』
確かに他人の汗が染みついた着ぐるみなど普通、着たくはないだろう。
ついでに『えへへ』などという笑い方をする女を初めて見た。
ちょっと感動。
『だから、どうしてもって時以外、私はケーキちゃん一筋です』
そういって胸を張る。
「ケーキちゃんって…この世界長いの?」
『うふふ。ひ・み・つ♪』
じっくり見ていると、仕草や喋り方が大げさというかアニメっぽいというか、
しかもそれを素でやっているようだ。ひょっとしたら職業病かもしれない。
サービス業に従事している人が、休日関係のない場所で
思わず「いらっしゃいませ」と言ってしまう様に。
92114/44 ◆XksB4AwhxU
「ミッ〇ィに勝てるくらい演技が上手いよ」と、お世辞を言ってみる。
『ホント?うれしーなぁ~。あはは』
どうやら演技でなく本当に喜んでいるらしい。
一々ケーキの動きが入って紛らわしいが、声のトーンが若干高くなった気がする。
「ところで…」気付くと、もう観覧車の終わりが近づいていた。
「他の場所にも案内してくれないか?もう少し話もしたいし」
『え!?…あっ…うん♪』
俺の言葉が予想外だったのか、驚きつつも嬉しそうに頷いた。
これも演技かもしれないが…。

次に連れて行かれた所はサイクルコースターという奴らしい。
スキーのリフトみたいな自転車に乗り
五メートル程の高さに設置されたレールの上を走る乗り物だ。
二人ならんでキコキコとペダルを漕ぐ。
箱型自転車が空中に伸びるレールの上をゆっくりと進む。
それを見た地上のガキが指をさす。
(何やってんだ俺は…)
当初の目的を思い出したが
このレールを一周しないと終わらないので必死にペダルを漕いだ。
流石に第三者の眼がある所で着ぐるみと遊ぶというのは恥ずかしい。
(とにかく、人目がなくて余計な金を使わない所を捜さないと…)
そしてペダルを漕ぐ内にいいアイデアが閃いた。
「なぁ、これが終わったら森の広場に行かないか?」
『森の広場?』
92215/44 ◆XksB4AwhxU
【 -秘密の森園- 】

遊園地北側の森に芝生の広場がある。ここなら誰も居ないだろうと俺は踏んでいた。
行って見ると案の定、誰も居ない。
俺はケーキをベンチに座らせ「すぐ戻るから」と言い残し
ファーストフードの店に向ってダッシュした。
店に駆け込みメニューを物色すると
写真付きでデカデカと存在を主張するメイプルサンドというのが眼に飛び込んで来た。
20センチ位に切ったフランスパンに
ハム・サラミ・スモークチキンなどが野菜と一緒に、これでもかと詰め込まれている。
どの変がメイプルなのかは謎だ。
一個450円は高い気もするが、それとアイスティを2個づつテイクアウトしてもらう。
10分後、出来たてのサンドが入った紙袋を手に広場に急いだ。
帰っていないか不安だったがベンチに座るケーキを見付け、胸をなで降ろす。
「悪い悪い。待たせたね」と紙袋を置き隣に座る。
「喉乾いたろ?ついでにパンも買って来たから一緒に食おう」
袋から紙に包まれたメイプルサンドを取り出し差し出す。
『わぁ~~~!ありがと~~~♪』
大げさに喜びつつもパンを膝の上に置き、そのままじっと俺の方を見つめてくる。
「…食べないの…?」
『ケーキはお腹一杯だから後で貰うね♪』
「じゃぁ…こーちゃ…」
『喉も乾いてないから、あ・と・で・貰うね!』
後でを強調し有無を言わせない。俺の思惑などバレバレのようだった。
もそもそと一人パンを齧り咀嚼する。その様子を隣でじっと見詰めるケーキ。
妙な空気の流れる時間が過ぎて行く…。
時々吹き抜ける風が心地良かった。
92316/44 ◆XksB4AwhxU
(いっその事、無理矢理取ってみるか…)
サンドを食い終わり、手持ぶたさになった俺の頭に不穏な考えがよぎる。
(そんな事したらやっぱり怒るよな…)
怒るどころか、警察沙汰とは行かないまでも営業妨害で叩き出されるかもしれない。
それに怒らせたら元も子もないのだ。
「…あ~…その~…着ぐるみの中って暑くない?」
『ケーキはケーキだよ。中に人なんていないよ』
キャラクターを演じる者としての模範的な回答が返ってきた。
「お前、観覧車の中でココの裏事情バラしてたろっ!」
俺の突っ込みをシカトし、足をブラブラさせ鼻歌を歌いながらあさっての方を向く。
いい加減じれったくなって来た。
「素顔が見たい」
直球ド真ん中の言葉を投げ掛ける。
『この遊園地が閉園になるまで毎日来てくれたら見せて上げる♪』
(お前は平安貴族かっ!)
焦らされているのを実感し、ちょっとムッときた。だから売り言葉に買い言葉で
「よし判った!無職のパラサイトを舐めるなよ!」と口走った。
風が吹き抜ける。中で呆れているのが雰囲気で伝わって来た。
「朝一に来て毎回スタンプラリーをしてもイイくらい暇だからな」
ぐぅの音も出ないほど呆れているのか、ケーキは動かなかった。
『そんなに見たい?』
動かないまま20秒くらい過ぎた後、ケーキが不意にそう言った。
「見たい!」間髪入れずに答える。
『どーしても?』
「どーしても!!」
『それじゃぁ…ねぇ…』
92417/44 ◆XksB4AwhxU
面を取っている所を他のゲストに見られないよう、広場の脇にあるトイレの裏手にまわる。
涼しく薄暗い木陰の中、一応男女二人きりというシチュエーション。
彼女が顎の下から手を潜り込ませ、面を固定しているベルトを外している。
ナンにせよ、秘密を見せて貰うというのは、ドキドキするものだと実感する。
ただ着ぐるみの頭を取るだけなのに、モザイクが掛かるような部分を
見せて貰うくらい期待と興奮が膨らむ。
ベルトが面の中から垂れ下がった。
どうやら外れたようだ。
そして左右の耳の辺りを手でおさえながらゆっくりと面を持ち上げた…。
               ・
               ・
               ・
こういう時は、どういう顔をすれば良いのか…。
中からアンダーマスクによって楕円にくり貫かれた、汗まみれの顔が出て来た。
(…びみょう…だ…。)
飛び切り不細工という訳ではないが、色気のカケラもない。
もしかしたら、ちょっと可愛い中学生(♂)と言ってもバレナイかもしれない…。
微妙な顔がニッコリ笑う。
汗まみれで毛穴の汚れが目立つ顔が俺に笑いかける。
面は、まだ両手で持ち上げたままだ…。
俺は面の上に両手を乗せ、ゆっくりと沈めた。
やっぱり、まじめに働こうと思った…。
92518/44 ◆XksB4AwhxU
気まずい空気が流れる。
彼女は、無言のまま面のベルトを閉めている。
この後どうしたものか考えつつ、空しい努力をしていた事を後悔していた。
(さて…どうするか…)
取り合えず礼を言って、この場を去るのが無難な気がする。
そんな事を考えてた時、不意に赤いモノが目の前に飛びこんで来た。
「ゔご!!」
それはケーキの頭だった。
身長差を計算に入れたケーキの頭突きが俺の顔面にクリーンヒットした。
衝撃で後につんのめり、尻餅をつく。
『あっ!ごめんねぇ~。着ぐるみって、前がよく見えないもんだから。つい♪』
「…『つい』じゃねー!この三流マスコット!」
顔がジンジンと痛む。
『ホント、前にお客様がいたなんて…あ゙!!』
とぼけた口調が一転、何やら本気で驚いている。
「…ん?」
只ならぬ様子に、痛む鼻の辺りを触ると血がにじんでいた。
「あ~くそっ。ティッシュティッシュ…って、ねぇ(無い)…」
生憎、ポケットから出て来たのはチリ紙を入れる役目を終えたビニール屑。
『あ…あの…大丈夫?』
ケーキが本気でうろたえている。
俺は鼻血よりも、そっちの方が驚きだった。
92619/44 ◆XksB4AwhxU
取り合えずサンドに付いてた紙ナプキンを鼻に詰め芝生の上に寝転ぶ。
側らでケーキが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
どうやらゲストに怪我をさせてしまった事に責任を感じているようだった。
「そんな心配するなよ。元はと言えば俺が悪いんだし」
『うん…』
明かにトーンダウンしている。そんなに落ち込まれるとこっちが辛い…。
ふと、おかしな事に気付いた。
俺は落ち込んでいるケーキに申し訳無いと思っている。
けど正直、中の彼女に対してそんなに悪いとは思っていない。
つまりケーキというキャラクターが存在していると認識している。
子供騙しの着ぐるみに、子供よりすっかり騙されているのに驚いた。
「お前って、スゴイな」
『…?』
鼻血男に突然褒められ、ポカンとするケーキ。
まぁ当然だが…。
「中身がどうしようもなく地味でも、着ぐるみを着ている時の君はスゴク輝いているぞ」
落ち込むケーキを励ます為、冗談混じりに褒めてみた。
が…彼女は無言だった。
92720/44 ◆XksB4AwhxU
無言のままスクッと立ち上がり後を向いた…かと思ったら、俺の方に倒れて来た。
「げふっ!!」腹の上に着ぐるみが落ちて来た。
肘が鳩尾に入る。
まぢで痛い…。
『ごめんねぇ~。ほら、着ぐるみって前がよく見えなくて♪』
「前が見えないと後に倒れるのかよ、この糞マスコット!重いからどけっ!」
ケーキは、そのまま俺に寝そべり退こうとしない。
人の身体をクッション代わりにし、鼻歌でメイプルランドのテーマ曲を歌っている。
「退けっての!どかないと鼻血と一緒にメイプルゲロをぶちま…」
いい加減邪魔なので、抱き起こして退かそうとしたが…。
意外に抱き心地が良い。
体形をあわせる為の肉襦袢?とボリュームの有るエプロンドレスが
気持ちの良い弾力になって腕に伝わってくる。
退かすのが惜しくなり、動きが止まってしまう。
この生きた人形を抱きしめながら、妙な時間が流れる。
彼女は嫌がりもせず何事もないように鼻歌を歌っていた。
やっぱりヘンな奴だと思った。
もっとも、鼻からナプキン垂らしながら
着ぐるみに抱き付いている男の方がよっぽど変人かもしれないが…。
『…また来てくれる?』
突然、鼻歌が止みそんな言葉を投げ掛けて来た。
「ん?…あ、ああ。…どうせ無職だしな…」
92821/44 ◆XksB4AwhxU
【 -無職 みたび- 】

また来るという約束通り(毎日はウソだが…)次の日もメイプルランドへ。
半額とはいえ、入る度に取られる入園料が無職には痛い。
今日のケーキは、いつもの広場にボロッちいCDラジカセを置き
そこから流れ出るメイプルランドのテーマ曲にあわせ踊っていた。
(あいつホントに色々やるんだな…)
芸の広さに感心するが、観ているのが親子連れ一組という痛々しい絵面。
何だか見ているこっちが泣きたくなる…。
どうにも声をかけ辛い状況だ。
曲にあわせケーキがくるりと回転する。
目があった気がした…。
確か着ぐるみは視界が悪い筈だし、俺も目立たない場所に居たと思う。
だがケーキの動きが止まり、俺の方をゆっくり振り向いた。
嫌な予感がした。
(こっち来ンなっ!)
目ざとく俺を見付けると一直線に駆け寄り、ガッチリと腕をつかむ。
そして、そのままズルズルと広場に引っぱり出された。
CDラジカセが無駄に明るい曲をエンドレスで奏でる。
広場には明るく踊るマスコットと、それに振り回されるゲストの姿があった。
92922/44 ◆XksB4AwhxU
『ノリわるぅ~っ!』ケーキがブー垂れる。
「一応最後まで付き合ってやったんだ。感謝くらいしろ」
一通りダンスに付き合わされ、見事に晒し者にされた。
しかもケーキにダメ出しまでされる。
痛々しい一人ダンスにギコチナイ野郎の踊りが加わり
寒々しく痛々しいダンスショーになってしまった。
気付くと、さっきまでいた親子連れも居なくなり、通りすがりの客に
チラチラ覗かれるという、目も当てられない状況。
それでも最後まで付き合ったのは、ホンの少しだけ楽しかったからだ。
『まったく、これじゃ先が思いやられるよ』
「…お前、何言ってんの?」
意味が判らない。
(…って言うか俺はどこに連れて行かれるんだ?)
ダンスが終わるとCDラジカセを持たされ、人気のない建物の前に連れて来られた。
白い倉庫のような建物。
その裏側にまわり 《関係者以外立ち入り禁止》 のプレートが掛かった金属製の扉の前に立つ。
「おい、ここって…」
『いいから、いいから♪入って。あ、ラジカセはテキトーな場所に置いてね』
「テキトーって…」
扉を開けた瞬間テキトーの意味がわかった。
車が8台くらい入りそうな部屋に
ダンボールやら何かの機材やらが、それこそテキトーに積み上げられていた。
どうやらここは本当に倉庫のようだ。言葉通りテキトーにラジカセを置き、ケーキについて行く。
93023/44 ◆XksB4AwhxU
部屋の奥にあるドアを開けると通路があった。
そこも消防法など眼中ねぇ(無い)!といった感じの空間。
夢の舞台裏とは、こうも汚いモノかと逆に感心する。
通路の一番手前の部屋に通されると
そこには、安っぽいテーブルとパイプ椅子が四脚、それに予定が書かれたホワイトボード。
ゴミ袋には、ゴハン粒の張り付いた弁当容器がギッシリ詰め込まれている。
どうやらここがケーキの住みからしい。

『ねぇ?「キャラクターの中に入りたいなぁ~」とか思ってない?』
「はぁ?」
(イキナリ殺風景な部屋に連れて来て、何を言ってるんだコイツは?)
『ちょっとの時給でもいいから、遊園地の最後を見届けたいとか
わずかな日給でもいいから、キャストとしてゲストを楽しませたいとか
ノーギャラに近い報酬でいいから着ぐるみを着て舞台に立ちたいとか思わない?』
「…思うって言ったら…どうなる?」
『ジャ~~~ン!!今なら先着一名様限りでオオカミのバター君になれま~す』
そう言いながら壁に張られたポスターを指差す。
色あせたポスターにはメイプルランドの全キャラクター写っている。
その中に一人背の高いマヌケな顔をしたオオカミがいた。
「…なってどうする?」
『メイプルランドの有終の美を飾るお手伝いができま~す』
「………」
93124/44 ◆XksB4AwhxU
どうやらオオカミの着ぐるみを着せて何か手伝わせたいらしい。
「ここって、ド素人の手も借りたいくらい人手と金がないのか?」
『うん!』
開き直ったような返事をされた。
「…ここに来るのだってタダじゃないんだけど…。金払ってタダ働きみたいな真似するなんて
おかしな宗教にハマってる奴じゃなきゃ出来ない相談だな」
『タダなんて言ってないでしょ!本当にショボイだけよ!』
「似たようなモンだろ?いくら俺が暇人だからって無理過ぎ。
安く済ませようとしないで、専門の役者に頼めよ」
俺がキッパリ断るとケーキは落ち込んでしまった。
いや、落ち込んでいるのは中の彼女なのだが
やはり、ケーキが落ち込んだように見えてしまう。
『あ、あの…なんて言うか…今から依頼しても、結局稽古に時間が掛かるっていうか…その…』
何だか急に歯切れが悪くなった。
「稽古?休日には他の役者も来るとか言ってなかったけ?熊とか兄貴に入る」
『本当は、ここの社員がクジ引きで入っているの…。
今、入っているのは40過ぎの営業の人が二人…』
「…まぢで!?」
コクンと頷くケーキ。
俺は、くたびれたオジさん二人が
メルヘンチックな着ぐるみに入るシーンを想像してちょっと気の毒になった。
93225/44 ◆XksB4AwhxU
『そんなキビシイ現状でも最後くらいはキャラクターを全員だして、パレードして花火上げて
華やかに〆ようって話になって…けど、みんな一杯一杯で人手が足りないの…』
うつむきながら、首をゆっくりと横に振る。
こんな時までキャラクターに成りきらなくても、いいと思うのだが…。
『そこで住所不定無職さんの出番!』
「……いや…住所はある」
『とにかく暇な、あなたの出番なのよ!』
ビシッと指まで差して来た。
そんな宣言をされても困る。
「…幾等なんでも冒険し過ぎだろ?素人出してイベントが台無しになっても
知らん…っていうか、オレ責任なんて取れないぞ」
『その辺は大丈夫。何かあったら私が全部被るから』
何故か自信満々に胸をはるケーキ。ここまで言われると断り辛い。
「わかった……わかったよ、そこまで言うならやってやるよ。
ただし、俺は無知・未経験のカンペキな素人だからな」
実に恩着せがましく言ってみる。
本音を言うと話を聞いている内に、ちょっと興味が湧いて来たのだ。
『うんうん。大丈夫大丈夫♪きっと出来るから♪』
ケーキが俺の手を握りながら嬉しそうに保証する。
そして次の日、その保証の根拠を思い知らされる事になった…。
93326/44 ◆XksB4AwhxU
【 -マスコットとマスコット- 】

彼女に関して驚く事が四つあった。
1 髪を出すと、角度によっては可愛く見える。
2 チビッコい癖に実は年上。
3 着ぐるみを脱ぐとアニメっぽい言動が止む。
そして最後は…。
ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピピィィィィッ!!
「ほらっ!回転が遅いっ!もっと脚上げてっ!」
『ま、待てっ…待って…死ぬ…』
「もう、へばったの?根性以前の問題ね。今時幼稚園児だって、そんな泣き言いわないわよ」
(#コイツはぁぁぁ!!)
ジャージ姿にホイッスル、パイプ椅子に踏ん反り返り、足まで組んでる。
その内、竹刀でも持ち出しそうだ。
《きっと出来るから♪》の意味は、《いきなり着ぐるみに入れて動作からダンスまで
徹底的に叩き込めば、きっと出来るから♪》という意味らしい。
暑さと酸欠のサウナ地獄。
鼻はすぐ馬鹿になり、最初に感じた面のイヤな臭いを感じられない。
臭いを気にするより酸素を貪り食う方が先だ。
「ほらほら、さっさと立ち上がりなさい。
そんなんじゃダンス憶える前に遊園地が終了しちゃうわよ」
『その前に…俺の意識が終了しそうなんですけど…』
「意識なんていらないから、考えずに身体で憶えなさい!」
『いや、そう言う意味じゃなくて…』
「立たないならチャック縫い付けて、口からゴキブリ放り込むわよ」
『…お前ってオニだな…』
10カウント寸前のボクサーみたいに、よろよろと立ち上がる。
もう、ひと夏分の汗を流した気がする…。
93427/44 ◆XksB4AwhxU
朦朧とする意識の中、鏡に写る自分の姿が目に入る。
寸胴で短足でコミカルな顔のオオカミ。
特徴は、脛の部分だけ黒いタイツで膝上からフカモコ毛皮が膨らみ
遠くから見るとスゴい短足に見える。
例えるならアメリカンドッグみたいな脚というべきか…。
バター君の表情は、開いたままの口から舌が垂れ下がり
ちょっと逝っちゃってる様な眼をしている。
このマヌケヅラの中から垂れ下がる、首隠し毛皮のせいで通気性が悪い事この上ない。
これが今の俺の姿だ。
無職からオオカミになるなんて、誰が予想出来よう…。
「『お前』じゃなく『先輩』でしょ!バイトくん」
まぁ、確かに雀の涙みたいなバイト代でも雇われた身分には変わりない。
しかし、お客様から下っ端バイトになった途端、この豹変ぶり…。
『ボクは、素顔の先輩よりケーキちゃんの方が好きです』
チクリと嫌味を言ってみる。
「私はバター君をイジメてる自分が好き♪」
『……。』
(こいつイイ性格してるよなぁ…)
93528/44 ◆XksB4AwhxU
基本的な動作や演技を三日間、みっちり叩き込まれ
とうとう園内デビューする事になった。
と言っても、お客に愛想を振りまくだけだが。
それでも俺一人では心配なのでケーキがサポートに付く事に。
お互いの着替えを手伝いながら、遊園地のキャラクターになっていく。
着替えるといっても、タイツを着た状態なので、色気のある話ではない。
先輩が身体を入れた後、エプロンドレスを引っ張り上げチャックを閉める。
小物を用意し面を被せ、仕上げに身だしなみを整える。
ふと、気付いたのだが着替えをサポートしている時の先輩は何故だか嬉しそうにみえた。
『いい?明くるく元気に!ゲストの前で喋っちゃダメよ』
『うぃっす!』
『…バター君。返事は「ハイ」…いいわね?』
『うぃっす!了解です!』
『…バター君。もしかして頭悪い?』
『うるさい赤毛。俺の方が真のマスコットだという事を証明してやる』
すでに、吹っ切れた俺は無駄にテンションが高い。
『もしかして…暑さで頭やられちゃった…?』
『うるさい!今から俺と勝負だ!お客に人気がある方が勝ち。
負けた方は、バツゲーム』
『別にいいけど…、勝ち負けの判定は誰がするの?』
『俺の主観!』
93629/44 ◆XksB4AwhxU
ケーキを置き去りにし園内へ。
そこには、普段と違った世界があった。
着ぐるみ姿でゆく、生身では味わえない世界。
黒目のサングラスと口の隙間から、夢の国を覗き見る。
まるで【隠れん坊】の時、物陰から鬼を覗いている気分。
自分であって自分でない感覚。
この上なく目立つのに誰だか判らないという矛盾。
暑苦しい着ぐるみに入りたがる奴の気持ちが少し理解出来た。
             ・
             ・
             ・
             ・
主観に頼らなくても、結果は俺の圧勝だった。
エントランス広場に着く前から、子供たちが駆け寄って抱き付いて来る。
手を繋いだり、抱き上げたりで引っ切りなしに写真を撮られた。
垂れ下がるシッポと手に付いている肉球が強力な武器となり
チビッ子達をメロメロにしていく。
まさにフカモコの勝利。
商売敵であるケーキの方を見ると見事に閑古鳥が鳴いていた。
『…ふっ』
その様を鼻で笑い、追い討ちに指を差して大笑いしている仕草をする。
彼女の演技指導がさっそく役に立った。
93730/44 ◆XksB4AwhxU
控え室に戻ると一足先に戻っていた先輩が、見た事もない優しい笑顔で俺を迎えた。
ケーキの頭を取り、アンダーマスクを首まで下げ、汗に濡れた髪が光っている。
口惜しがって文句を言ってくると思っていた俺は、その笑顔に戸惑った。
「どう?初めてのグリーティングは?楽しかった?」
『え…あ、うん…。』
意外な問い掛け。
「…よかった。初めて会った時、元気がなかったから心配だったの」
『………』

頭を殴られたような衝撃。
ひょっとして、彼女は俺を励ます為に、この仕事に誘ってくれたのだろうか…?
だとしたら、全タイで嘘ストリーキングをやらせようとしてた俺は、どうしようもない馬鹿だ。
さっきまでハシャいでいた自分が物凄く恥かしい。
やはりこの人は、小さくても年上の女性(ひと)だった。
そして自分はデカイだけガキだ……。
『先輩…ありがとう…』
ショックから立ち直りポツリと呟く。彼女は、何も言わず微笑んでいた。
その微笑みをサングラス越しに見つめる。
その笑顔がすごく魅力的に見えた。思わずこのまま抱きしめたくなる。
見詰め合う、着ぐるみオオカミと微笑み少女?
兎に角、何か言わないと気まずい…。
『ところで、バツゲ…』
「バター君から見て、あれは引き分けよね」
途端に笑顔がひきつった。
やっぱり、単に誤魔化したかった、だけかもしれない。
93831/44 ◆XksB4AwhxU
【 -終わりだよ。 全員集合!- 】

休園日。いよいよ、フィナーレに向けての練習が始まる。
大きな鏡が張られた稽古部屋にメイプルランドの全キャラクターが集合した。
吊り半ズボンの男の子ホット君。
エプロンドレスの女の子ケーキちゃん。
樹の妖精ミックス。
熊のメープル。
アライ熊のシロップ。
狼のバター。
兎のミルク。
総勢七体ものキャラクターが一同に会した。
ちなみにミックスは妖精と言っても、羽根のはえた可愛らしい奴ではなく
カエデの葉がウロコ状に重なった松ボックリみたいな体形にサンタ顔が付いている。
はっきり言ってキモい。
そしてそれらのキャラクターに入っているのは…。
俺と先輩を除いて、一番若いのは兎のミルクに入る三十路を一歩こえた女性。
普段は、園内にあるレストランで働いているらしい。
他は…あまり言いたくない。
ホット君が娘に「お父さん!臭い」と言われた事を嘆く。ミックスが次の職場の事を憂う。
メイプルとシロップがそれに同調する。
クジ引きで負けたり、背が低いからと言う理由で選ばれた男達。
それでも最後のイベントを成功させようと、悲壮感漂う決意に満ちている。
言わば覚悟を決めた男達だ……そして、その熱意は見事な空回りを見せた。
(動きがゼンゼン合わねぇ…)
ミックスとメープルが1テンポ遅れるのは重たい着ぐるみの所為だろうか?
あと、ダンスが終わって腰を叩くのも勘弁して欲しい。
93932/44 ◆XksB4AwhxU
不安を抱えながらも練習の日々が過ぎる。
男達は、数日遅れの筋肉痛に耐えつつ営業日の僅かな時間に練習し
初日と比べると随分観られるモノになっていた。
何だか偉そうな言い方だが
干物にされかけた俺と比べれば、まだ甘いと言えよう。

しかし、あの厳しいレッスンは本当に必要だったのだろうか?
地味顔だのなんだのと言った事への報復ではないだろうか?
ひょっとしたら、バイト自体が先輩の壮大なしっぺ返しかもしれない…。
だが、それだけは信じたくない自分がいる。
俺としては、好意的な理由で誘ってくれたと信じたい…。
残念ながら初めてのグリーティング以来、進展らしい進展もせず
先輩と後輩の馴れ合いのような日々が過ぎた。
このメルヘンチックなアルバイトも、もうすぐ終わりを告げる。
その時、俺はどうなるのか…。
また、ズルズルと無気力な日々に戻るのか?
そうなったら今度はいつ、立ち直れるだろうか…?
94033/44 ◆XksB4AwhxU
『先輩は、ここが終ったらどうする?』
グリが終り控え室に戻った俺は聞くのを躊躇っていた質問を投げ掛けた。
『……』
先輩は無言。
『もしかして、地方のテーマパークへ行くとか?』
そうなったら、バイトが終わった時点で彼女ともお別れだ。
だが、幸い彼女は首を横に振った。
長いオサゲが背中に当りペチペチと、かすかな音をたてる。
『先輩、付き合ってる彼氏とかいるの?』
ペチペチ…。
『彼氏もなく行く宛てもない先輩に提案なんだけど…』
『……』
ケーキの笑顔がじっと見つめる。
『先の見えない者同士、一緒に暮らさないか?』
『…え?』
『つまりアパート借りて、そこを拠点に就職活動しませんか?と言ってる訳だ』
ポカンとするケーキ。だが、次の瞬間堰を切ったように笑い出した。
『笑うのは、返事をしてからにしてくれ』
『だって…変な人だとは、思ってたけど、ここまでとは…』
この人に変人扱いされるのは、心外だ。
『一応、これでも真剣なんだが…』
『判ったわよ。その提案にのって上げる。けど、一つだけ聞かせて』
先輩の口調がまじめな物に変った。
『素の私とケーキちゃんをやってる私。どっちが好き?』
『ケーキちゃん』
一秒も考えず即答した。
94135/44 ◆XksB4AwhxU
【-グランド・フィナーレ-】

最終日。
入園が無料になり、乗り物も全て解放されメイプルランドは
数年ぶりの賑わいを見せていた。
『泣いても笑っても今日が最後!各自、悔いの残らないようにガンバルゾォーッ!』
ホット君が檄を飛ばし、キャラクター達が円陣を組む。
『メイプゥーーール!ふぁぃオーふぁぃオーふぁぃオーッ!』
「お前らどこの野球部だよ」と突っ込みが入りそうなくらい体育会系。
これは、ホット君が元高校球児だったせいだが、着ぐるみは体力勝負なので違和感はない。
朝、入り口に並ぶゲストを全員でお出迎えし
昼までは代わる代わる、グリーティング。
受け付けない胃袋に冷たい弁当を無理矢理流し込み
午後からは、吐きそうになりながらのパレード。
久しぶりに車庫から出したフロートに乗り込んで、必死に手を振る。

だが午後のグリーティング直前、妖精のミックスとアライ熊のシロップ。
それに兎のミルクが倒れた。
イベントを仕切るプロデューサーが夜のショーに合わせる為
三人を一時的にリタイアさせる。
当然のごとく、皺寄せは残りの四人にやってきた。
ホットが風船を配り、ケーキがキャンディを配り、メープルが握手をし
俺は子供をダッコして写真に写る。
四人とも、どうにか休憩時間まで生き延び、控え室に崩れ落ちる。
最後の出番まで後、三時間。
今の内に着ぐるみを開いて扇風機の風を当て
汗でグショグショになったタイツを洗濯機に放り込み、シャワーを浴びる。
94236/44 ◆XksB4AwhxU
立場上、最後にシャワーを浴びて控え室に戻ると
テーブルに突っ伏しているTシャツ姿の先輩がいた。
「先輩…生きてるか?」
「うん…」顔を上げずに返事だけ聞こえてきた。
「後は、昨日のリハーサル通り行けば終わり…か」
「……」
(ん…?)最初グロッキー状態でテーブルに突っ伏しているのかと思っていたのだが
どうも様子が違う。身体がかすかに震え嗚咽が漏れ出した。
「…先輩…泣いてんのか?」
突っ伏しながら頭を振り否定する。
「…なら良いんだけど、泣くならショーが終わってからにしてくれ。
その後なら、俺の汗臭い胸を貸してやるから」
……いつもの反応がない。
やはり五年間、現場で頑張って来た彼女にとって、この遊園地は特別な思い入れがあるのだろう。
何か気の効いた事を言って慰めるべきなのだが
入ったばかりのぺーぺーに彼女の何が判るのか…?
結局、何も思い浮かばず、そっとしておく事にした。
「俺は、みんなが仮眠(ね)ている稽古部屋に行ってるから」
そう言って控え室から出る。
ドアを開ける間際、言い忘れていた事を思い出した。
「あ、先輩…このバイトに誘ってくれて、ありがとう」
「……」
「これでも本当に感謝してる。だから元気を出せって言うのはヘンだけど
俺は先輩のお陰で、立ち直れたから。先輩には、いつも元気でいて欲しい」
初めて素直に気持ちを表現出来た。
同時に言っている言葉のクサさに顔が赤くなる。
先輩が顔を上げたような気がしたが、恥かしいのでさっさと逃げ出す。
似合わない事はするもんじゃない…。
94337/44 ◆XksB4AwhxU
午後7時。森の広場に作られた特設ステージには
多くの観客が芝生に座りショーの開始を待っている。
開演まで、あと30分。
舞台の裏に立てられた巨大テントの中では、最後の打ち合わせが行われていた。
イベント会社から派遣された歌のお姉さん二人が入念にプログラムをチェックする。
着ぐるみ隊は全身タイツにジャージを着て、最後の練習をしていた。
「キャラクターのみなさん、そろそろスタンバイお願いしまぁーす」
スタッフの一人が顔を覗かせ、俺達に告げる。
いよいよ、最後だ。
飯も食ったし、タイツも新しい物に代えた。着ぐるみは、生乾きで気持ち悪いが問題ない。
「いよいよ、最後ね…」
着替えを手伝ってるさなか、ポツリと先輩が呟いた。
「うん。先輩の着替えを手伝うのもこれが最後だな……
ところで、俺がココに来る前、どうやって着替えてたんだ?」
前から疑問に思っていたのだが、離れにある倉庫には、いつも人がいない。
「べ、別にいいでしょ…そんな事…」
(…?)
何が恥かしいのか、さっさと面を被ってしまい、その表情を見る事は出来なかった。
『そんな事はいいから、さっさと着替えなさい』
先輩がいつもの口調に戻った。
さっきの涙を引き摺ってるかと思ったが、少し吹っ切れたみたいだ。
正直、俺はほっとした。
落ち込んだまま、最後の舞台に立つのでは、あまりに悲しい。
「開演5分前でぇーす!急いでくださーーーいっ!」
さっきのスタッフがまた、来て告げる。
『おぉーーいっ!バイトくぅーーーん!例のヤツ行くゾォーーーッ!』
声の方を見ると俺達以外のキャラクターが円陣を組んでいる。
(またかよ…)
ケーキとバターが顔を見合わせる。きっと面の中では、お互い苦笑しているだろう。
『行くか?』
『うん♪』
94438/44 ◆XksB4AwhxU
【 -舞台と花火と素の二人- 】

7時30分開演。
舞台上には、メイプルランドのテーマ曲にあわせて
オープニングのダンスを踊るキャラクター達。
それが、終わると同時に歌のお姉さんを迎え入れ、バラエティショーが始まる。
まずは、トークでお姉さんにイジられ
歌のコーナーでは、お姉さんが歌うアニメの主題歌や童謡にあわせ踊りまくる。
これまでの努力が実り、ダンスの息はピッタリ合っていた。
勿論プロのダンサーと比べれば、実に稚拙なモノだが
素人の寄せ集めにしては上出来だろう。
一回目の歌のコーナーが終わり、クイズ大会に移る。
まずは、ジャンケンマッチで参加者を絞り
生き残った者達をキャラクターが舞台に連れて来る。
クイズは〇×式で俺達の出番はないが、ゲストと一緒に考えてる仕草をしたり
正解した時は一緒に喜んだりで休む暇がない。
勝者に景品を渡してクイズ大会が終わると、再び歌のコーナーが始まった。
今度は、子供ウケしている流行の歌が中心だった。
たった一時間のステージなのに昼間よりハードな一時間。
暑さでフラフラになりながらも気分は、やたらと高揚している。
これが俗に言うランナーズハイだろうか?
このままブッ通しで朝まで踊れそうな気がする。
それでも終わりの時は、やって来た。
もう一度メイプルランドのテーマ曲にあわせ最後のダンスを踊る。
全員揃ってターンを決めた後、中央に集まってポーズ。
寸前に打ち上がった花火が同時に開いた。
「みんな、今までありがとーーーーーっ!」
歌のお姉さんが手を振る。
俺達も、めいいっぱい振る。
客席には、鳴り止まない拍手。
夜空には花火が次々と打ち上がり、そのまま花火大会に雪崩れ込んだ。
94539/44 ◆XksB4AwhxU
9時20分。
30分の花火大会が終わり、余韻に浸っていたゲストもほとんど居なくなった。
しかし俺達の役目は、まだ終わらない。
ゲートの前に整列し、帰っていくゲストにお別れの挨拶をするキャラクター達。
そして遊園地スタッフ。
みんな涙ぐみながらゲートをくぐるゲストに手を振る。
不覚にも俺まで目が潤んできた。
あれだけ、汗をかいたのに涙は別腹らしい。
ケーキの方をチラリと見ると、あいつも必死に手を振っていた。
きっと面の中では、汗と涙と鼻水でグショグショになっているだろう。
やがて、本当の終演がやって来た。
10時ちょうど。
最後のゲストを送り出し、ゲートの灯が落ちる。
ゲート前には、最後のゲストを見送る直立不動の男性。
「みなさん!今まで本当に御疲れ様でしたっ!」
背広姿の男性がこちらを振り向き深ぶかと頭を下げた。
暗くてよく判らないが、多分ここの総責任者だろう。
直接見るのは、これが初めてだった。
スタッフ一同が拍手で応える。
あちこちから、すすり泣く声が面の中にも響いてくる。
号泣と言っていい、泣き方をしている女性スタッフも数人いた。
俺は、こんなにも涙腺が弱かっただろうか?
(…つか、員数合せの臨時バイトが、なにスタッフ気取りで泣いてんだ?)
素直に感動している自分がいる。
そして、そいつを冷めた眼で見ている自分がいる。
やはり俺は、まだガキなのだと思う…。
94639/44 ◆XksB4AwhxU
一足遅れで倉庫の中に入ると、張り込んでいた?ホット君がそっと耳打ちして来た。
『バイト君も打ち上げ出るだろ?』
『あ、はい。お邪魔します』
これから、園内のレストランでお別れパーティーが行われる。
俺は車なのでアルコールはマズイが、いざとなったら車に泊まるつもりだ。
『まだ時間があるから、彼女慰めてやんなよ…』
『…え?』
『今、控え室で一人だから』
そう言いながら親指をグッと立て足早に姿を消す。
どうやら、お父さんチームは余計な気を効かせたらしい。
俺は溜息を付き控え室へ向う。
ノックもせずにドアを開けると着替えもせず椅子に座る先輩がいた。
『よっ、お疲れさま』
先輩は無反応だった。一度は取ろうとしたのだろう。
面の中からベルトが垂れ下がっている。
俺は無言で、面を抱えるように持ち上げた。
案の定、声を押し殺して泣く先輩の顔があった。
汗と涙と鼻水でグチャグチャになった顔。
今まで見た中で最高に汚い顔だった。
『先輩、顔がツッパリ食らった力士みたいになってるぞ』
「…わ゙ぅかっぁだわ゙ね゙!!」
鼻詰まりな声が部屋に響く。
『まぁ、それはともかく約束通り俺の汗臭い胸を貸すから存分に泣いてくれ』
「ゔわ゙ぁかっだ…」
94740/44 ◆XksB4AwhxU
そう言うと、毛むくじゃらの胸に顔を埋め泣き出した。
まさか本当に来るとは思わなかった…。
胸で泣く先輩に戸惑いながらも、そっと後から腕を回し抱きしめる。
『…なぁ、先輩。素の俺とバター君、どっちが好きだ?』
「バダーぐん…」即答されてしまった。
『…そっか…なら、仕方ないな…』
ここで《俺》と答えて、面を取りキスする流れを想定していたのだが
完全に出鼻を挫かれた。
『…ところで今、俺の被っている面を取ってくれると良い事があるんだが…』
「バダーぐんがい゙い゙…」
『…そうですか』
諦めの溜息を付く。
…が、不意に首の部分に先輩の手がモグリ込んで来た。
慣れた手付きで、顎のベルトを外すと、おもむろにオオカミの面を取り去った。
湯気が出そうなくらいの熱気と、共に俺の顔が露出する。
「…ヘンな゙かお゙」
「まぁな…」
俺の顔も、眼が真っ赤に腫れた酷いものだろう。
「…先輩も素敵に不細工だぞ」
「ゔん…」
お互いの顔を見詰め合う。
「ここは一つ、ブサイク同士キスでもしてみないか?」
未練がましくそんな事を言ってみる。カッコ悪い事この上ない。
だが先輩は、何も言わずゆっくりと、顔を近づけて来た。
お互い目をつぶっていたのは、ムードを出す為か。
はたまたブサイクな顔を見たくないからか…。
ともかく、俺のメルヘンな日々は、しょっぱいキスで幕を閉じた。
94841/44 ◆XksB4AwhxU
【 -八畳一間の夢の国- 】

あの日から1ヶ月。
俺は以前のように、印刷関係の仕事をしている。
万券数枚で買えそうな化石パソコンと共に
画像の調理とフォントの詰め合わせに頭を抱える毎日。
コイツは、ちょっとでも機嫌が悪いと保存する間もなく凍り付き
ひとの労力をあっさり無駄にしてくれる。
もっとも、これは俺だけへの仕打ちと言う訳ではない。
その証拠に殺伐とした雰囲気の職場には、今日もヤニ臭い男達の怒号が響き渡る。
ここと比べると、あそこは本当に夢の国だった。
今になって、あの暑く苦しく汗臭い日々が恋しくてたまらない。
メイプルランドは解体が始まり順調に姿を消しつつある。
悲しいが、時が経ってゴミと落書きだらけの
心霊スポットに《されて》しまうよりはマシだ。
けど、あの緩やかな時間が流れていた場所が
更地に変わり果てた姿を見たら、きっと俺は泣くだろう。
現に、こうして想い出に浸っているだけでも涙目になっている。
あの夜以来、俺は涙もろくなってしまった。
少しは、大人になれたのかもしれない…。
94942/44 ◆XksB4AwhxU
先輩は、昔の仲間が所属しているアクションチームに入り
地方の遊園地に出張(でば)ってしまった。
そこで行われている着ぐるみショーはデパートの屋上や
スーパーの駐車場でやる即席のものとは違い、セットまで組まれた特別なモノらしい。
きっと今頃は正義のヒロインとして
ワイヤーに吊られながら地球を狙う悪と戦っているだろう。
お陰で《一緒に暮らそう計画》は、初っ端からコケた。
まぁタテマエとは言え、一緒に暮らす理由が就職活動だったから
仕事が見付かれば、そっちを優先するのは当然だが…。
こうもあっさり仕事の方を選ばれると、実に立場が無い…。

オマケにようやく見つけたアパートには、せまい部屋を更に狭くするダンボールの山。
中身は先輩が手当たり次第貰って来た、メイプルグッズの売れ残りだ。
(…ど~すんだよ、これ…)
オークションで叩き売りたいが、そう言う訳にも行かない。
崩れないように祈りつつ、背中を丸めカップメンをすする。
気のせいか土手で飲んでた缶コーヒーと同じくらい、せつない味がした。
溜息を付きつつカレンダーの×印を見る。
公演期間が終わるまで後、一週間。
そうすればカップメンと菓子パンの日々が終わる。
たぶん終わる…。
(終わればいいなぁ…)
95043/44 ◆XksB4AwhxU
一週間後。
仕事が終わりアパートに帰宅すると
ドアの真中に見覚えのあるプリクラが張ってあった。
顔を真っ赤にしながら、あわてて剥がし部屋に飛び込むと
そこは、すっかり異世界になっていた。
部屋を占拠する大小様々なヌイグルミ。
キャラクターがプリントされたクッションが7個。
壁には3種類のタペストリーが掛けられ
計5個の壁掛けの時計と目覚まし時計が無駄に時を刻む。
そして極め付けは、部屋の真中に堂々と居座る着ぐるみ。
『おかえり~♪』
「……」
『びっくりした?』
「……」
俺は何から驚けば良いのか?
取り合えず、俺の私物の行方は知りたい気がする…。
『お腹空いてるでしょ?ケーキの手料理食べて♪』
テーブル代わりのダンボールには、皿にもられた山盛りクッキー。
「…いただきます」
もそもそとクッキーを頬張る。
『美味しい?』
「…前に無理矢理買わされたクッキーと同じ味がするんだが…」
『あら、ふしぎ♪』
「これが手料理なら、納豆の蓋あけるのも立派な手料理だな」
『じゃぁ、今度は納豆を開けておくね♪』
「………」
『………』
95144/44 ◆XksB4AwhxU
笑ったままの顔が反って、有無を言わせない威圧感を放っている…。
ここまでされるのに、心当たりが無い…事も無い。
「あの…この嫌がらせは、どこまで本気で、どこから冗談なんでしょうか?」
『冗談ってナニ?ケーキの事、好きって言ってくれたじゃない♪』
やっぱり、グリ終わりの控え室での事を根に持ってる。
冗談の通じない女性(ひと)だ…。
そう言えば、容姿を褒めた記憶が
一度も無いのも、関係しているかもしれない…。
しかし先輩は、この意趣返しの為にわざわざ着ぐるみを貰って来たのだろうか?

「って言うか、お前一人で着ぐるみ着れるぢゃん!何時も何時も人に手伝わせやがって!」
『ケーキはケーキだよ。中に人なんて居ないよ』
「『居ないよ』じゃねーっ!俺の荷物はどこだっ!ちゃんとしたメシ作れっ!」
『ふ~んふんふんふんふんふん♪…』
「シカトすんな、このリストラマスコットがっ!」
あさっての方を見ながら鼻歌を歌うケーキ。
この狭過ぎる夢の国にメイプルランドのテーマ曲が流れる。
そこには、幕が降りた筈の緩やかな時間が確かに流れていた。

【 -終わりー 】
97100/00 ◆XksB4AwhxU
感想ありがとうございます。
返事が遅れてすみません。
当初モノを書くのが、これほど大変とは考えもせず
書いたり削ったりを繰り返えし
どうにか見れる形にして載せるのに数ヶ月かかってしまいました。
ちなみに元ネタは、昔TVで偶然見たレ〇マ特集で
メイプルの名前は
【は〇みつプー】のライバル【メープルぷー】がいる遊園地という設定で付けました。
が…元々思い付きなので、脇役にしか見えませんが気にしないで下さい。

本懐をとげたので、私は元のいちROM人に戻ります。
最後に小説を最後まで読んで下さったみな様
本当にありがとう御座います。