殻の中(仮)

状態
未完結
文字数
2,498
投稿数
4
他の形式
Plain Text
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345◆C60ZnIY/xA
 人は長い間抑制されると、それが解かれた後も自らでそれを抑制し続けるようである。
 もはや筆談やキーボードなどの術を用いなければ、言葉を操ることが出来なくなってしまった。

 始まりは小さなゲームメーカーに入ったところからだった。
 ゲームが好きだったわけでもないし、その業界で生きていく上で、何か具体的に取り柄があったわけでもないにも拘わらずそこに入社したのは、今の自分に至るために仕組まれたことではないかと思うぐらいである。

 事務職での採用であったが、何せ小さな会社である。雑用は何でも任された。
 そんな私を気遣ったのか、それとも誰もやりたがらなかったからなのか、営業の先輩が突然声を掛けた。
「今度の土日、営業の仕事をやってみないか。」
 雑用よりは面白いだろうと二つ返事で了承。
 そして、日曜の晩には、私の人生はほぼ一つの方向のみを指し示すことになった。

 全作が思うより好評だったらしく、販促に用いるキャラクターの面には随分と力を入れたという。
 その力を入れた張本人が大病を患い故郷に戻ってしまったための抜擢であった。

 土曜日の午前中は店の中、それも問題のソフトが置かれる一角に陣取っていたが、高級な一眼レフからケータイのカメラまで写真を撮ろうとする人々と、生命のエネルギーと形容される性的欲求を含んだ吐息に囲まれ、店並びに私自身が持たないため、午後からは店頭での販売となった。

 その二日間の昂揚は決定的であった。
 見られているとか、変身願望とかそう言う類の感情も含まれていたのかも知れないが、昂揚の主たる根源は、中に入っていると言うことである。
346◆C60ZnIY/xA
 これは今になってから考えた講釈であるが、キャラクターであれ、人であれ、どれほど好きになっても、そこの内部に入り込むことは出来ない。
 隣にいて、そして性交渉に至るにしても、表面的な接触でしかない。生殖器であれ、消化器であれ、皮膚とひと続きになっている以上、それは表面なのだ。
 そう言う意味で、着ぐるむという行為はそれらを超越しているとさえ言えるのだ。

 活動は続き、好評を博するようになると、私の会社でのポジションは自ずと、着ぐるみ要員となり、出社する日数も減っていった。

 会社で私の顔が忘れ去られようとした頃、私の生の顔を見てみたいという不届き者が登場することとなる。
 これが社のイメージと、私自身の物理的な危機となりかねない状態へと発展するのは火を見るより明らかと判断され、回避のためホテルを転々とするようになる。

 元々無趣味であり、その上、着ぐるみに魅入られた私は、ボロアパートには一切の未練はなく、そもそも普段着である男の服にさえも感心がなくなってしまったため自らを捨てることに苦痛はなかったし、存外快適な暮らしを得ることになった自分は恵まれていると感じた。
 そんなによい部屋に泊まれるわけではないが、洗濯や食事の用意はホテルか会社の人間が適当にやってくれるし、常に着ぐるみの状態で移動できるため、それまで気にしていた顔バレの不安が消えてなくなるのは申し分のない事である。

 会社が大きくなるにつれ、アメリカばりの契約を交わすことになる。
 恐らく人前で声と顔を出したのはこれが最後のはずである。
 要目は、声と顔を出すなと言うモノであり、それはこちらとて御免被りたい。

 契約以降、ホテルの部屋は盗聴と盗撮の検査が行われることとなり、泊まるホテルも直前にしか決められず、食事は部屋の前で会社の用意した皿とワゴンに移し替えられるなど、徹底した管理が行われることになる。


sage忘れましたorz
347◆C60ZnIY/xA
 モーニングコールのベルが鳴る。
 受話器を取り、一拍おいて、切る。
 着ぐるみを着たまま眠ることは希であるが、気分を出すためにランジェリーを着用している。
 陽光がカーテンの裾から漏れるが、これを開け放つことはしないし、出来ないように予め細工されている。
 シャワーを浴びている最中に朝食が部屋に持ち込まれる。
 食事は消極的な菜食主義である。肉は最低限摂るが、体型の維持や体臭に気を遣うためになるべく避けている。
 頭髪を剃る。髭と脇、陰部の毛髪は永久脱毛をしてある。これも臭いの保持を避けるためである。
 制汗剤と、優しい香のするベビーローションを塗り、補整下着、肌タイを着用する。
 用意された衣装を着込むと、面を着用する。

 衣装は大抵一人で着るが、着れないものの場合は、女性スタッフが助けてくれる。女として扱ってくれているからである。
 社内でさえ、私の正体はおろか、男であるという事でさえも知るものは少ない。
 某掲示板で、男じゃないかと例しに煽ってみたら、一斉に全否定されたのは良い思い出である。

 日中は主に二人の女性と、一人の男性がサポートに付くが、話を聞いている限り、中の人の存在は全く喪失しており、それこそキャラクターがゲームの外に出てきたと思いこんでいるのに近い感情を持っているのが分かる。
348◆C60ZnIY/xA
 初めの頃、写真の撮影となると、商品の広告や限定品のポスターやカレンダー、そうでなければ、記事の間を埋めるだけの存在だったが、今となっては声優のグラビアと肩を並べるほどとなった。
 この仕事も楽しい。
 絵ではなく、写真を撮影する意味は、「私が入っているキャラクター」が認められている所にある。
 外見を重視するグラビアと違って、写真の意味が内部にまで染み渡っているように感じられるから、この仕事があると嬉しいのだ。

 日がまだ高いうちにホテルに帰る。明日は休みなので、ちょっとよいホテルにしてもらった。

 食事その他は適当に済ます。夕食の片付けが済めば、こちらから連絡を取らない限り誰も入ってくることはない。
 一人の時間である。

 私は、それと一体になることに幸せを感じているのである。
 自慰行為をするときそれは、内部からキャラクターを犯しているという感覚であり、そこに興奮の焦点がある。
 頭に思い浮かべるのはキャラクターの心の動きであり、外面的なものはもはや意味を持たない。

 故に生身の女性を見ても何とも思わない。
 サポートの女性に着付けをしてもらったとき、面のすぐ目の前まで顔が来たので、彼女が顔を赤らめたのを見て、「何も思わない」感覚を得た。


今回はここまで、もう少し続きます。