RULE

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完結
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630名無しさん@着ぐるみすと
とりあえず書いたんで流し込んでみる。

 「 RULE 」
631名無しさん@着ぐるみすと
 はい、横断歩道をわたるときわー、
右を見て、左を見て、手を上げてーっと。

 きょろ、きょろ、ぱたぱた・・・

「ナオさん熱心ですねぇ。」
 ナオは返事をジェスチャーで返す。
 頬に手を当てて、やだー、照れますぅという感じ。
「あ、まだ被ってなかったし。」
「もうキャラに入ってますね。」
「んー・・・ポーズって汎用ですから実際どうなんでしょうか。
 このアニメ見たこと無いんだよなぁ。ミランちゃんかぁ・・・。」
「イタリア空手の達人でブランドショップを経営してる、そんな女学生です。」
「マンガだなぁおい。ミラノのミランね。」
「イメージカラーもACミランだったりしますね。」「あ、そういう情報助かる。」

 ここは、どこかの自動車教習所。定休日で、車はいない。
交差点ばかりの道、坂道やポール、遠くで麦藁帽子のおじさんが芝刈り機を回している。
駐車スペースには、『ミラン様とよいこの交通安全教室』という垂れ幕がかかり、
焼けたアスファルトの上にその濃い影を落としている。
アニメの人気キャラクターと一緒に、交通ルールを勉強しよう、というような催しだ。
632名無しさん@着ぐるみすと
 いい天気ですねぇ、休みにすりゃよかったな、とスタッフの彼がが言う。
そこを働くと違ってくるんだよ?とナオは答える。
週二日休みがあれば、年に104日。一日9000円でも93万6千円。
遊びに行ったらマイナスだから、年に100万や150万は違っちゃうのさ。
「宮仕えなのに案外所帯じみてますよね・・・」
「スイーツ(笑)とか言えばいいわけ?全体を見るのは大事なことだよ。」

 タイツの首のあたりが少し苦しく、ゆるまないかなと手で引っ張ってみる。
表面も処理されていて、しっかりした作りだ。
間近で見られても違和感のないようになっているのかもしれない。
 マスクを被って固定用の装具を締める。自分の呼気の音。

 -----霞ヶ関に勤務して数年は、収入も多かったものの。
それは単に朝8時から朝4時に及ぶ時間外と残業の手当が多かっただけ。
省庁再編による途方もない口減らしで行政の処理能力は低下し、かといって仕事は変わらない。
たまに帰れそうならタクシーで帰って、シャワーを浴びて出勤する。
 そんな日々の中で、彼女はある日、勢いでマンションを買った。
働く意味が欲しかったのだろう・・・と、自分では思う。
それが、出来ないことは出来ない、ということで人員に合わせた仕事が割り振られるようになってきた昨今、
人事院の定める普通の給与レベルでは、支払いが重荷になっている。
 そういう状況での、裏稼業。
633名無しさん@着ぐるみすと
 苦い思いを振り払うように、カーテンをすかして、教習所のコースを見る。
もう子供たちが集まって、ふざけ合いながらイベントの開始を待っている。
駐車場には何台かの車が止まり、母親たちも数人見える。
 自動車学校の建物に近い木陰で、世間話をしている。

「じゃ、前説行ってますんで」
 スタッフは音響1、司会1、それと演者のナオの3人というコンパクトなチーム。
本隊はどこかでちゃんとしたショウをやっているらしい。
634名無しさん@着ぐるみすと
 前説の声、主催の自動車学校の先生のご挨拶。子供たちがうずうずしている。
建物の出口に向かうと、夏の始まりの風が吹き込んできて・・・暑さを感じるのは最初だけだ。
歓声と、司会者の声。司会はお巡りさん風の扮装をしている。

 じゃあ、みんなで、ミランちゃんを呼んでみよう!
子供たちが呼ぶ。テープのミランの声が答える。

 イベントの流れは、交通標識のクイズとか、歩道の右側通行はどっちだとか、
わざと間違えて子供たちを惑わせたり、信号の色を見て、横断歩道を渡ったり。
それを司会者とキャラクターの掛け合いで進行する。
 所々でマイクを子供たちに渡し、発言してもらう・・・つまり、マイクが無いと子供たちは発言できない。
このルールが分かると、子供でも口々に話したりはしないものだ。
 そうして1時間ほどで交通安全教室は終わるが、それでミランちゃんの出番は終わりではない。
校長さんの終わりの挨拶の間、グリーティングの時間がある。

 ミランちゃんは子供たちと一緒に終わりの挨拶を聞いた後、
集合写真と個別の写真を撮ったり、色紙を買ってくれた子供にサインを書いてあげる。

 ショウの出来映えは、サインや撮影をねだりに来る子供の数で分かる、
  ------と、ここの座長も以前言っていたわけで、
じゃあ、仕方ないな。ナオも誰にも見えないところで笑顔になる。
 そのサイン、今日来なかった友達に自慢するといいよ。

 それで、午前の部は終わる。エンディングテーマが流れて、ミランちゃんは退場。
635名無しさん@着ぐるみすと
「はい、お疲れでした」
 マスクを外したナオに、司会をしていたスタッフがタオルを渡す。
あんまり可愛くない顔になってるだろうなぁと思いながら、ナオは汗を拭く。
この自動車学校内のキッチンが、控え室として借りられている。クーラーが心地良い。
 冷蔵庫で冷やしておいたコーラをぐっと喉に流し込む。
「あー。んまい。」炭酸が乾いた喉を刺激しながら、泡立って胃袋に流れ落ちるこの感じ。
「・・・今日の子供たち、結構元気だったね。」
「ですねぇ。どう回そうか結構考えましたね。」
 ばりっ、ばりっとマジックテープを剥がして、衣装を脱いでいく。
「自転車ではねそうになったし。膝が曲げれなくてあぶないあぶない。」
膝上までのびっちりしたブーツを履いた足を、ぽんと投げ出す。ばりばりばり。
 スタッフはどんどん脱いでいくナオからなんとなく目を逸らしながら、
「サドルの位置上げときますか。なんかナオさん背が低いと思ってたから・・・」
 子供用の自転車じゃん。ばりばり。手袋を外す。
636名無しさん@着ぐるみすと
 マジックテープのアジャスターといい、このキャラクターのコスチュームは、
誰が着てもそれなりのディテールになる。作った人のこだわりが感じられる、良い衣装だ。
 ナオは女性としても背が低く、キャラクターによっては安全ピンをいくつも付けてサイズを詰めることも多い。
スカートの下も、かなりハイレグに切り込んでいて足が長く見えるように配慮されているし、
コルセット状の中着にはしっかりボーンが入っている。その上に、フリフリのブラウスとスカートを着る形。
その分余裕は少ないから、衣装のあった部分はうっすらと汗が染みている。
 タイツの背中のジップを下げて、手をぬいて、腰で縛る。上からTシャツを被る。

 ----午後の挨拶は庁舎の方がお見えになりますよ。スタッフが午後の段取りを眺めながら言う。
ん。ごくろう。教委さんかな・・・君が代とか歌わせないでしょうね?
そんときゃ所轄官庁の人として、注意してあげたらどうですか?
ナオは彼を叩く真似をする。「・・・そこは内緒です。んじゃ、トイレいっとくね。」
「じゃあ、自分も休憩入りますんで。」
637名無しさん@着ぐるみすと
 内緒、というのは、国家公務員法では、公務員は副業をすることが禁じられているということ。
収入が減ったところで、せっかくのマンションを手放すのは惜しかった。
そこでナオは、人目に触れないお仕事を探した。
それに、この仕事なら日焼けもしないし、マニキュアを剥がさなくてもいい。ばれる可能性が少ない。
 まぁこっちの職場じゃ、最初は会社員で押し通そうとしたものの・・・
今はスタッフは皆うっすらと知ってしまっている。それでもナオは、なるべく素顔を晒さない。

 トイレを終えて、廊下に出た。
そこで、スーツ姿の女性と目があった。
 スタッフの誰かが応援に来たのかとちらっと思ったが、そういう様子ではなかった。
何か、驚いているようだった。まぁ、この格好では驚かれても無理は・・・

「・・・ナオミさん?」
「・・・ぅえ?」
ナオもびっくりする。相手の顔には確かに覚えがあった。外務省キャリアの子だ。
 確か白川さんとか言ったはず。
638名無しさん@着ぐるみすと
「やっぱり。何をやってるんですか?」
「そっちこそ・・・出向して来てるの?」
「出向?はぁ?ご挨拶ですよね。こんな都下の団体の職員にまで落ちたのはどちら様の・・・」
「あ、大体分かったわ。じゃ。」
「ちょっと、まだ話は終わってないわよ!ほんとに、こんな所で会うなんて。」

 そういえば、あちらの省とは因縁があった。忘れていたが。
省庁間の綱引きというものはあるもので、外務大臣の答弁の作成で資料の提出を求められた時、
ナオの当時の室長は、当省の主張を文言に含めるように、という交換条件を出した。

そこに、ささやかな国益派と外圧派の折衝があり、交渉のさなか、よく見かけた顔が彼女であり・・・
結果として、向こうがこちらの要求を蹴った。
その答弁書を国会の席上、才気煥発たる大臣は、「使い物にならない」と投げ捨てた。
 これが、省庁内で言う所の投げ捨て事件である。
639名無しさん@着ぐるみすと
「あの時そっちがそういう縄張り意識を出さなかったら、全部丸く収まったんです。それをあなた方は、」
「ごめん。まぁ、ダブルバインドだったと思うけど、室長も全部蹴ってくると思わなかったんじゃない?」
 やはり、顔を合わせ辛く、ナオの目線はキッチンの中を彷徨う。
冷蔵庫、古いテレビ、長机の上の調味料のビン。白川さんはミランちゃんのマスクを弄びながら、
「ほんとに分かってます?私は恨んでるんです。
 -----仕掛けた方は忘れてても、仕掛けられた方は忘れないものです。」
「そっちの調査で裏を取れば良かったでしょうに。えむ・おー・えふ・あーのエリート集団でありながら。」
 口先だけだ。ナオの省内では、尊大な彼らをチンピラとかTOEICとか呼んでいる。
 英語は読めても条文の一つも読めない連中。

「左遷ってことも無いんでしょ?」
「まぁ、自分で異動願いを出したんですが・・・でもそれがすぐに通ったのも悔しいというか。」
「そういうこともあるものよ。」
「それより、その格好はどうなんですか?」「ん?」
「・・・ボランティアじゃないですよね?」

 やっぱりそこに突っ込んで来るか。
640名無しさん@着ぐるみすと
「副業ですよね。それもこんな形で。
 この交通安全教室というのも、公の立場を利用した利益誘導と見られなくも無いですよね?
 査察が動くかも。それとも、ブロガーに流しちゃおうかな?」
「う・・・」
 睨み合えば、彼女の方が背が高い。
ナオは見下ろされて、はう、と溜息を付く。相手が相手、言い逃れは出来ない。
「諦めるしかなさそうね。」
「あら、諦めてもいいんですか?何だったら黙っていてもいいんだけどな。」
「その代わり?」
「そうねぇ、その代わり・・・そっちの室長を事故に見せかけて、」
「何で人殺しになるのよ。別に副業が見付かったってペナルティは軽いよ。」

「じゃあ、ばらしても痛くも痒くもないっていうの?」
641名無しさん@着ぐるみすと
 リスクの計算。懲罰にあたるものは無いはずだ。
役人なら誰だってGoogleで検索すれば名前が出る程度の知名度はある。スキャンダルの価値も無い。
「・・・でも、午後のショウはやってあげたいかな?」
「熱心ですこと。意外な才能ってあるものだと、先程見て思いました。
 この暑いのによくやってるなとも思ったけど。」
「体が季節に慣れるまでは大変だけど、慣れの問題。でも、子供は可愛いよ?」
「子供を盾に取っていますよ。・・・そういう交渉の仕方は、私も知っておくべきでした。」
 心理戦の基礎は、相手の戦術を指摘することだ。
「・・・それなら、交通安全教室には出てもらおうじゃないですか。
 私も挨拶をするんですから、そこは台無しにされたくないし。だから、ハンデを付けてみましょう。」

 白川さんは立ち上がって、周囲を見る。
机の上の布テープを取る。びっ、と引っ張って、マスクの口に貼る。裏側から。
「え・・・ちょっと、何するの?」「目の所は開いてるから大丈夫なんじゃない?それから・・・」
 食卓塩と化学調味料のビンを取って立ち上がる。冷蔵庫の上のラップをくるくると巻いて、
「他の穴も埋めてみましょうか・・・んふふふ。」
「自分が今何をしてるか分かってる?大体、私に恨みを晴らしてどうなるのよ?」
「黙れ。指揮権はこっちにあるんだから。机に座って足を広げてください。」
 ------言われるままに、テーブルに腰かける。「そんなの、だって入らないわよ。」
「はん。入らないならマヨネーズでもキャノーラ油でも塗ってあげるわ。」冷蔵庫の扉に手を掛けて、
「あ、いいものがあるじゃん・・・」その、赤色の液体のビンには、ラー油と書かれている。
白川はそれを手の甲に少し出して、舐めた。血のように赤黒い。「・・・マイルドな辛さね。」
 ぞくっと、ナオの背に悪寒が走る。
642名無しさん@着ぐるみすと
 彼女はラップに包まれた食卓塩のビンと、化学調味料のビンにそれを回し掛け、ナオに歩み寄ると、
タイツをぐっと太腿まで引き下げ、パンツに手を掛ける。
そして、ナオのそれを指で押し開いて、ずるっとねじ込む。ナオは無生物の感触に小さく悲鳴を上げる。
「もう一つ。」脚を起こして、もう一つにもう一つを押し込む。「んぐ、」と、吐息が漏れる。
 パンツを白川の手がたくし上げて、タイツのジップに手をかけ、ナオの体の震えに合わせて閉めていく。
「ほら、着なさいよ?手伝ってあげましょうか?立って。」
 背中を押され、ナオは立とうとして、膝からくずれる。熱い。
「これで、あっ、うう、・・・何をやれって?」
「次の交通安全教室を最後までやったら、そうね。不問に付すということにしましょう。
 息が荒いですね。無理そうなら勝負を降りてもいいよ?子供達には残念なことだけど。」
 今度は白川が、子供たちを盾に取って見せる。

 じわっと下半身が、熱い。熱が全身に伝わり、額に汗が吹き出す。
 ちょっとO脚気味になっているスタイルを意識しながら、キャラクターの衣装に足を通す。
 椅子にもたれながら、体を少し曲げてマジックテープを止めると、
衣装が股間に挿入されたビンをぐっと押し上げ、不意の感触にナオはよろめく。
「真っ赤になっちゃって。暑いだけ?屈辱的だったりするの?」
「うざいなもう!勝負に、乗って、上げてるんだから・・」
「やる気は十分ってとこね。あ、そうだ。写真とろうかな。」
 それはまずい。ナオはマスクを取って被った。口が開いていない。息が詰まる。
静かに呼吸しないと顔に貼りつく。

 コンコン、とドアがノックされる。
643名無しさん@着ぐるみすと
「ナオさん、いいですか。なんかうるさかったですけど?」
「テレビで昼ドラを付けていましたので。どうも、おじゃましてます。」
 スタッフが入ってくる。
ああ、これはどうも、会長さんこちらにいらしたんですか。ナオさんはもう着付け終わってますね。
ええ、色々お話をうかがったり、写真を撮らせていただいてて。素顔はダメらしいんですけど。
そういうものです。ああ、何か会報になど載せる場合は権利関係が生じる場合もあります。
はい、載せても非営利の身内の会報ですので。
 ------そういった会話を、ナオは腰のうずきに耐えながら、他人事のように遠く聞いている。
じゃ、前説始まりますので。会長さんも準備のほうを。
はい。えーと、私とミランちゃんと一緒に出られますか?
 挨拶は一言でいいので、今そういう相談をしてたんですが、大丈夫そうですから。
ええ、演出的にはちょっとテープを止めれば出来ますよ。じゃあ後ほど。
はいー、よろしくお願いします。
644名無しさん@着ぐるみすと
 白川はミランの姿を見る。
その姿は、本当に夕方のアニメ番組に出てくるキャラクターのように見える。
人は動物に比べて、未熟なまま生まれる。成人になる前の子供には、世界を認識する力が無い。
 幻想と、現実の境界が曖昧なのだ。だから子供には着ぐるみが本物に見える。

 -------成人だからと言って、幻想と現実の区別が付いているわけでもない。
国とか行政、官僚であるナオミや自分もまた、存在は確かなもののように見えて、
強い日差しの中では、陽炎のように揺らめくことがある。

「行きましょうか、・・・ミランちゃん。子供達に交通ルールを教えてあげないと。
 いつかその子が、車に撥ねられて死なないように。」
彼女は、意を決したように立ち上がる。ルールを学んだのかしら?
 リアルに突き当たることは、車に撥ねられるようなもの。あの時は私が撥ねられたけど、今は逆。
645名無しさん@着ぐるみすと
 前説の声、主催の自動車学校の先生のご挨拶。子供たちがうずうずしている。
建物の出口に向かうと、薄暗い室内に慣れた目に、午後2時の太陽が視界を白く蒸発させる。
 歓声と、司会者の声。

 じゃあ、みんなで先生と、ミランちゃんを呼んでみよう!
子供たちが呼ぶ。テープのミランの声が答える。

 白川がナオの手を引いて、教習所のコースに出る。
彼女はお巡りさん風の扮装の司会からマイクを受け取る。
「お子様方、ご父兄の皆様、児童福祉協会の白川です。本日はミランちゃんと一緒に、
 交通安全のためのいろいろな決まりを、しっかり学習、お勉強してくださいねー。」
拍手。
646名無しさん@着ぐるみすと
 とん、とミランが前に飛び出して両足をそろえて、見えを切る。
最初のぴょんと飛んだときに、-------食卓塩のビンがずるっと抜け、
胸を張った時に、衣装がぴんと張って、にゅるっとそれを押し戻す。あう、と息が洩れる。
 足踏みをしてこらえながら、セリフに合わせて身振り手振り。
ちゃぁお。こんにちわー、ミランはいつもはお店で働きながら、悪のグローバル帝国と戦っているんだけど、
 今日はみんなと日本の交通るーるを勉強しにきましたvv
 しってる?私の生まれたイタリアだと、車は右側通行なんだよ~?
こ、の、ペースで、動いてると、持たないな。まだ最初のとこなのに、
 焦りが心に染み込んでくる。
 
 太ももに子供の手の感触。顔を動かして、その子を見る。
涼しげな短いワンピース、パンツが見えてる。うらやましい。すっと腰を落として、撫でてあげる。
こういうスクワット運動が度々入ってしまうのが・・・立ち上がるとマスクの下の頬を汗が伝う感触。
その様子を見て他の子供も寄ってくる。カメラを持った親たちも、我が子をけしかける。
「こらこら!ミランちゃん、遊ぶのは後にしなさい。」
 頃合いを見て、司会者が割って入る。ミランちゃんは向き直って、「はぁい///」テープの声が答える。
647名無しさん@着ぐるみすと
「じゃあ、まず最初に、車は道路の左側を走りますが、歩く人はどちらでしょう?・・・」
右だって子は手をあげて、左だと思う子はいるかな?
右と左が分からない子、もしいたら手を上げて~。司会者が聞く。ミランが元気良く手を上げる。
ナオはその手を上げた動作にまぎらわせて、お尻をくねらせる。
 焼けるような熱さだけじゃなく、・・・あまり想像したくないけど、お腹でこっちのビンと前のビンが当たる。
気持ち悪い。お腹痛くなったらどうしよ・・・
「ミランちゃん、わかんないの?」
「時々わかんなくなるの~vスパゲッティを食べる時フォークを持つのってどっちだっけ////」
「ん~、お巡りさんはスパゲッティも箸で食べるんだよねぇ。」
 子供たちの笑い。笑い事じゃない。そうでもないか。

 コースを歩きながら、司会者が道路を指し示す。歩行者優先道路や、横断歩道の説明。
「はい、このマークは何だろう?」
 指をあごに当てて、わかんなーい、という素振り。子供達が口々に「自転車~」と言う。
あ、自転車か。段取りの通り、自転車が止めてある。自転車が車の代わりだ。
 ナオは自転車に跨った途端、
 -------ごりっ。悶絶。
648名無しさん@着ぐるみすと
 ・・・サドルが。上げるって言ってたっけ。根元まで入った。涙で前が滲む。
「しゅっぱーつ!」テープのミランの声が非情に命じる。
 道の向こうで白川は愉快そうに、ひくひくと腰を振るわせるミランを見ている。

「おおっと、ミランちゃん、自転車は・・・そうそう、左側通行だよね。」
司会のスタッフが言いよどんだ。あ、とナオは気が付く。
 右側を走るという段取りを一つ飛ばしてしまった。
そのまま司会者は、先にお風呂に入る方が右足だからね、などと軽口を続けて子供をからかいながら、
音響スタッフのテープの頭出しを待つ。

 それから、何度か自転車の乗り降り。標識の説明。止まれ。通学路。踏み切り。
 
 踏み切りの前で、カンカンカン、という音を聴きながら、ふっと意識が飛んでナオはへたり込んだ。
慌てて立ち上がると、えぐっ、と、吐き気が込み上げる。
 司会のスタッフが、だめだよー、電車がいっちゃうのを座って待ってるなんて、とか言いながら、
音響に巻いてくれのサインを送る。
 途中を端折ろう、という判断だ。通じただろうか?
 途中を端折れば、白川も気が付くだろう。きっと建物の中で涼みながら、
このショウをじっとチェックしている・・・。
 息苦しい。時間のたつのが遅い。そうなるとキャラを演じるのが辛くなってくる。
省略するとして、あとどのくらいショウは続くんだろ------、
649名無しさん@着ぐるみすと
「みんな分かったかな?今日は来てくれてありがとう。最後にミランちゃんがサインをしてくれるけど、
 でもその前に、今日ここをみんなに使わせてくれた自動車学校の校長先生から、お話があります。
 ・・・じゃーあ、ミランちゃんまたあとでね。」
裏に下がって一休みしてきて、という配慮だ。ナオは腰を落とし、
 腰ににゅるっとした感触、手でかばいたいのをこらえて、子供達に両手で手を振る。退場する。

 建物に入った。控え室のキッチンに駆け込んだ。慌しくマスクを外して、
洗い場に頭を突っ込んで水をかけて冷やす。

「------お疲れ様。どうやら一回目より短縮バージョンだったみたいですね。」
 中にいた白川が声を掛ける。
「・・・」
「途中で倒れたら面白かったのに。」
 白川は、勝った、と思った。前に負けた相手に一つやり返した。
 タオルを渡す。それを受け取って、ナオは、ふっと溜息を吐く。
「そうねぇ・・・私の負け。降参する。」
 ----え?
違う反応を求めていたのだろう、ナオの言葉を待つ。
650名無しさん@着ぐるみすと
「だから、どうしてくれても構わないけど・・・勝者は価値のあるものを得るべきじゃない?
 中央に戻れるように私が口添えしてあげてもいいよ。」
頭をがしがしと拭く。顔を拭いて、ナオは彼女を見る。
「選ぶ権利はあなたにあります。でも時間は無い。10数える前に決めて。10、」「あ、あの、」

彼女の勝ち誇った表情はもう消えて、呆然として言う。
「本当・・・?でもどうして?最初からその提案をしても良かったのに?」
「それだと、あなたは意地になって突っ張ったでしょ。」
 そう言って、笑顔を作る。

「・・・確かにそうだったかも知れない。私、子供みたいね。」
「あはは、全くよ。ほんとにもう・・・そうだ。一つ条件を付けます。
 正直なとこ、こうまでされたら、このあと体力持つかわかんないの。
 スタッフにも代わりはいないし、子供はいつまでも遊んでもらいたいものだし。
 -----このあとミランちゃんをやってみない?」
「え?」
 そう言いながら、ナオはもう衣装のマジックテープをべりべりと剥がし始めている。
タイツのジッパーを下げて、目を伏せて、食卓塩と化学調味料のビンをラップの端をつまんで抜く。
「私も官庁と折衝するんですから、あなたもハードルを越えなさい。着せてあげる。」
651名無しさん@着ぐるみすと
 タイツはじっとり湿って、場所によってはベトベトに濡れて、赤い染みが出来ている。8x4のような匂い。
白川は少し顔をしかめながら、足を通し、手を通して、フードを被る。ナオは次々と衣装を付けさせていく。
-----子供は大袈裟なのが好きだから動きは派手に大きく、特に視界が狭いと動きも小さくなりがちだから。
それに腰はかがめて、目線は出来るだけ合わせてね。
 マスクのガムテープを取って、被せて、出来上がり。ぽん、とその頭を叩く。

 そしてナオは白川のブラウスを着て、スーツを羽織りながら、言う。
さあ、今度は仕掛ける方をやってみて。みんな待ってるわ。
 出て行くミランちゃんに、子供たちが集まった。
ミランの中の白川は時々ぎこちなく、それでも元気に撮影に応じながら、色紙にサインを書いて渡す。

『 Grazie mille! Milan 』

 ------イタ語かよTOEICめ。あれ、ナオさん?あれ誰が入ってるんですか?
スタッフとナオはひそひそと話す。まぁ、色々あってね。
 もしかしたら長い付き合いになるかもしれないし、こっちにも手伝いに来てくれるかも------

子供が司会のスタッフに聞く。お巡りさん、ミランちゃんのサイン、なんてかいてあるの?
ナオが横から教える。ありがとう! ミラン。・・・だって。
652名無しさん@着ぐるみすと
fin.と。こうして見ると長いな。好きなとこから読んで。