Machinery

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649名無しさん@着ぐるみすと
21世紀はロボットの時代になるらしい。だが、人間はどこへ行くのだろう。

 「 Machinery 」
650名無しさん@着ぐるみすと
 「先程の説明は、何一つ為し得なかったことだ。聞いていて呆れたよ・・・真実を知れば、ここにお越しのプレスの方々も、会場にお越しの皆様も、おたくのスポンサーも失笑を禁じえないだろう。
 それだけじゃない、人格の蹂躙、人間性の否定だ。あんたは裁かれるだろう。
 
 教授、あんたは詐欺師だ。これは虚偽に対する告発だ!だから取引はしない。告発には正義があるからだ。」
 彼が首に掛けたレイヤードの社員証は、彼が四星電器の所属であることを示していた。

 「そう思うかね?」教授と呼ばれた男は答えた。「そう思うかね!」教授はブースの前の聴衆を、カメラを、記者たちを見渡す。
 
 「正義、人間性、良い言葉だ。お前らのような連中には縁がない言葉だな。さぁ・・・おい、」
 担当の技師がキーボードにコマンドを打ち込む。ベネティアは、その少女は、とっとっと、と歩いてきて、告発者の前に立つ。
 そして背を向けて座り込み、背中の冷却ファンがその動作を止める。
 教授の手がそのほっそりとした首の、輪のような襟を取り外す。彼はそこに被覆の継ぎ目と、ギチギチと噛み合ったジッパーの歯を見る。
 「君が何をすべきか、分かっているな?
 ------正義などないかもしれない。虚偽が真実ではなく、真実が虚偽であるかもしれない。
 どちらにせよ、我々は君を待っていたのだ・・・・宜しければ丁寧に扱ってくれたまえ。」
651名無しさん@着ぐるみすと
 そこは、ROBOT EXPOの会場、一般公開に先駆けてのプレス公開日。会場は企業ごとのブースに区切られ、マニピュレータやリフトやロボットアームは元より、懸架や揚重用の強化外骨格、OCRのような活字認識技術、指紋や顔や手の毛細血管や虹彩での個人認証、音声合成、対話型で処理を行うインターフェイス、恐竜型や動物型の愛玩ロボット、ラジコン競技用の玩具、音楽を流しながら踊るラグビーボール、あるいは人工臓器などなど、各社バリエーション豊富なそれらのものが展示されている。
 「21世紀はロボットの時代になります」という、床に散らばったパンフレットに最初に書かれたマニフェストの通り、これらは、今後もっとも伸びていく産業である。
 そして、そのパンフレットの表紙に描かれているのは、人型のロボットだ。
652名無しさん@着ぐるみすと
 「人の形をしている必要は、必ずしもない。当然ですが。」
 EXPOを数週後に控えた、山陰の研究室では、そのロボットの開発が進められていた。
 「へー。何かの目的の為じゃないんですね。んじゃ何で?」
 「興味を引くから。レッサーパンダが二本足で立つだけで大ニュース。」
 興味深げに聞いているのは、モーションデータの構築のために呼ばれている一応はタレントさんであり、得意気に話していたのは教授の助手で、その時教授はその場にはいなかった。
 「二本足で立つのって難しいんですか?・・・あっ!今ばかじゃねーのって顔した。」
 「いえいえ。技術的にはどうなのかということですね、分かります。------んー、難しいですかね?」
 この企業、つまり山陰電器の技師が少し考えて答える。
 「ロボットといえばセグウェイってのがあるが、あれなら難しくない。傾きを検知して移動するだけだ。難しいのは二足歩行だ。まぁ・・・こちらの先生が解決してしまったがね。」
 「うちの教授は材料物性だけでなく、脳科学のほうも研究のテーマにしてまして。さて、セグウェイもいきなり乗れるかというと、若干の慣れが必要です。試行錯誤があり、そのうち出来るようになりますね?
 その前後、人間の中で何が起こるでしょうか?はい、考えて見ましょう。」
 「乗ったこと無いんだけど・・・」「竹馬とかはどうですか?生まれて始めて2本足で立った時のことでもいいですが、イメージできますか?」
 「・・・イメージは出来るけど、」「はい、それです!その、イメージが予想出来る、ということが、人間に二足歩行が出来てロボットに出来ない理由です。」
 「そうは言うが、」と、技師は言う。「暗黙知やゲシュタルトなんて昔からある理論じゃないか。」
 「いえ、『イメージと予想』が本質です。暗黙知は過去に構築されたもの、ライブラリに過ぎません。ええと・・・」
653名無しさん@着ぐるみすと
 その日、窓の外からは、この電器工場の従業員たちの生き生きとした声が聞こえ、躍動する影が見えた。
 研究所の隣には、スカッシュや3ON3のためのコートがある。逆に言えば、フルサイズのテニスやバスケットボールほどのコート面積が無いということでもある。
 「人間か。人間とは何だろう。」教授が呟いた。
 「ヒューマニズムですか?1時になれば、彼らも工作機械に戻るわけですが。」
 技師が言う。教授が問い返す。
 「君は人間が嫌いかね?」
 「ええ、嫌いです。」技師はしれっと答える。「しかしオートメーション化には限界があります。頭脳労働的な価値は当然として-----それでは、機械労働的な人間の価値を褒めてみましょう。
 例えば、高性能なガソリンエンジンでさえ処理系を一体と見たエネルギー変換効率は15%程度、肉体はエネルギーの70%以上を動力に変換できます。また、体積辺りの仕事量で言うと、筋肉はモーターの10倍から100倍。勝負になりません。
人間らしいロボット、という定義には、この凄まじく高密度で高効率な動力系が含まれます。」 
 「しかし、さし当たっての問題は・・・フランケンシュタインの苦悩だ。まさかこんな事になるとは。私が問題にしている人間らしさというのは、そこだよ。」
 「不気味さの谷ってやつですかねぇ・・・う~ん・・・」彼はそれを見る。「シミュレーションではこんな傾向はなかったんですが。」

 プラスチックの美少女はぎこちなく動いた。歩き、こちらを見て、手を突き出して振る。
 静かな研究室に、機械の軋む音と排気音が広がる。
 くっ、と首を曲げる所、体のバランスを保つために上体をのけぞらせながら手を差し上げ、動かす所、
 静止と急な動作は、爬虫類を思わせる。もしくは鳥・・・鳥類は温血のトカゲでウロコが変化したものが羽だ、という、よく知られた話があるが、この少女にも小さなメカニカルな羽がある。
654名無しさん@着ぐるみすと
 「何だって秋葉系でやってみようって話になったのか。これでせんとくんなら全然アリだろうに。不気味さが売りにもなるだろうに。」
 「マスコットキャラクターは存在感として軽いからでは?」教授に助手が言う。「う~ん・・・安易で分かりやすいものを求めるのが大衆であり市場主義ですが、その結果生み出される社会的な機械には魂がない。奈良、平安遷都、この上なく分かりやすい。
 先生の言葉で言うと秋葉系ですが、それもそういう危機を抱えていて・・・アニメのキャラクターにも作品の中での愛と死がある。それが魅力を形作る。しかし、萌え産業の消費者にはそんなものに興味を抱く必要が無い。だから安易なメイド、記号化された顔と髪型。磨り潰されたキャラクターグッズ。」
 
 そうした美少女は、今彼らの前に居る。エプロンドレスで羽があり甘いクリームソーダのような色と目と肌、血のかわりに電気が流れ、肉の代わりに-----アクチンとミオシンの化学反応で動くのが肉と腱だが、これはペルチェ素子のわずかな温度変化で揮発油を暖め冷やすことで駆動するスターリングエンジンと、瞼や唇を動かすコンプレッサーの空気で動いている。それはモーターと歯車の駆動とは違った、人間らしい柔らかな動きを実現する筈だった。
655名無しさん@着ぐるみすと
 EXPO会場での、二人の人物の対峙。居合わせた報道記者は携帯をまさぐって、iコンシェルに録音の指示を出す。金髪ツインテールのアヴァターは、不貞腐れたように操作の開始を告げる。
 
 電話の鳴る音、時計は午後の1時過ぎを指し、外のグランドからは従業員達の声まもう聴こえない。
 『あ、田村教授ですか?ナインティプロの者です。今研究室の前なんですが・・・・』
 『入ってきたまえ。鍵は開いている』
 ガチャッ。と、ドアが開く。
 「そこにいたのかね。」いるだろうなと思ってはいたが。「ノックすれば良かったのに」
 携帯を鞄のポケットに押し込みながら、御陵は答える。
 「やぁ・・・A型なもので。やっぱり電話を入れる決まりですから。」
 そう言いながら、彼女は上着を脱いで、白い球の付いたベルトを手に取る。
 
 「まぁ、調整はこれからですよね?」
 「ああ、」
 「ねぇ?」
 「いや・・・」教授が答える。「根本的に間違っているのかもしれない、という危惧を、我々は抱いている。」

 彼はテーブルに人数分のコーヒーを置き、彼女にもカップを与える。
 その間、彼女は研究室の様子をちらちらと盗み見る。ロボットのまわりに乱雑に置かれた電源装置、ケーブル、銀色のシリンダー。汚れた白衣の技師たちはファイルやノートPCを持ってテーブルに集まり始める。重い足取り、と彼女は判断する。これはスムーズには行かないようだ。会議の時間はきっと長い。
 彼女は教授のほうに声をかける。「外出てていいですか?ここは電波がわるくて・・・」
教授は話の途中で彼女に答える。構わんよ。最近の子は携帯が好きだな。
656名無しさん@着ぐるみすと
 スカッシュのハーフコートのそばのベンチに座る。もう、ここに人影は無い。夏も過ぎて、涼しくなったと思う。
 携帯でぷちぷちとメールを打つ。
 >ちこくした。副都心線パネェ。アナウンスが途中でだまるとかないわ。あ、とか言ってるの。
 送信、っと。しかし変わった仕事もあったもんだとあらためて思う。タレントとして名の通っていない人にも仕事をとってくるナインティの・・・・なんていうか、敏腕ぶり?

 `⊂〃ま→レヽ(;’ヮ’) とかメールが返ってくる。また送る。一旦携帯を閉じて、思いなおしてまた開く。どうせ待機時間だし、バッテリにはまだまだ余裕がある。
 ニュースサイトを見に行く。EXPOや先程の美少女ロボットはベネティアという名前。反響はなかなか大きい。ティアたん萌え~だって。まぁディテールが凄いしねぇ・・・動きがあんなホラーだと分かったらみんな凍りつくね。
 ネットワークが切断され、携帯がぶるっと震える。着信。研究室からだ。

 『何点か確認したいことがある。一度研究室に戻ってほしい。』
 『あーはい、今戻ります。』
657名無しさん@着ぐるみすと
 彼女はプロダクションを通して、ロボットの製作に協力する立場にある。努力義務と守秘義務を負っている。そして、山陰電器の産学協業体のラボが彼女に求めているのは、モーションデータを提供すること。そういった事柄の確認が教授から求められた。彼女は同意した。
 教授はロボットのフレームから取り外された、衣装も無い裸の、言うなれば皮の部分を指し示す。
 「-------それを・・・ベネティアの外装のことだが、被ってみてほしいわけだ。」
 「はぁ・・・。それは、・・・・それはちょっと無いなぁ。大体人が着られるように出来てるんですか?」
 確かに、それはバイクのライダーのつなぎ服のように見えるし、ドンキで売っているようなゴムマスクのように見える。着られるように見える。
 「元々、モーションデータを利用するために君と同サイズで発注している。温度調節も出来る。頭部には給排気系もある。機動系統はこの羽の部分になっているわけだ。生命の危険は無い。」
 「快適だよ。」技師の一人が言う。「息をする必要もない。体温・・・つまり運動量に合わせてプログラムで外気を供給する。」
 「え?え?それは-----でも、何の意味があるんですか?」
 沈黙。しかし、教授が答える。
 「あらためて君の義務を説明するなら、こちらの指示に沿ってモーションデータを提供してもらうことが、君のお仕事だ。
 まぁ試しにやってみようじゃないか。」
 
 手に持つと、それは意外と硬質で、かなり重量感があり、裏側からは肌の下を這い回る細いチューブが見える。スターリングエンジンは温度の変化による気体・液体の膨張収縮を利用する・・・という、前に受けた田村教授の説明を思い出す。放熱が出来なければ、ロボットは全ての腱が伸びきった状態になるということ。
 人間なら?
 「下までやっぱり脱いだほうがいいんですか?」
 御陵はパーテションの向こうに声をかける。ああ、と返事がある。なんとなく辺りを見渡してから、スカートを脱いで、ブラウスといっしょにパーティションにかける。ストッキングを脱ぐ。
658名無しさん@着ぐるみすと
 背中のジッパーを程々に下げて、足から着てみようとする。くるぶしの部分が通らない・・・そのうち肌が汗ばんできて、きゅぽっと音を立てて入る。脱げないかもしれない。
 手を通す。細管があるからか、軽く水圧のような感触。体を体の部分にはめ込む。
 「胸と言うかというか体がぴったり来ないんですが?」声をかける。「まぁ冷却水が充当されるだろう。」という返事。
 お腹をへこませて、ジッパーを上げる途中で、関節の角度がかなり制限されることに気が付く。軟らかいような硬いような。腰は圧迫感があり、手で触るといい感じにくびれている。そのまま体の収まり具合を手で整えて・・・額から汗が垂れたのに気が付く。呼吸が荒くなっているのは、体が体温を逃がそうとしているのかもしれない。はやく冷却装置を動かしてもらおう。
 「い、一応着れました。」声を出そうとして、声が出しにくいのに気が付く。はっ、はっ、と腹式を慣らす。「なんか裸みたいでアレなんですが、今出ます。」

 頭部を手に取る。卵肌のほんのり赤い頬、植毛された睫毛と二重に折りたたまれた瞼。深い目、小さな鼻と軟らかそうな唇。
 「ここに、」と、技師がマスクの裏側を指し示す。「表情の制御用のユニットがある。これを口でくわえる形になるから、声が出せない。表情は口の開き方と舌で操作出来るように出来るかもしれない。頭部には無線ユニットとバッテリーが入っていたんだが、それが要らなくなったからスペースが出来た。」
 「へぇぇ・・・コンピューターが入ってると思ってましたが・・・」
 「頭に脳がなければならないというのは思い込み。それは機械としては不合理だ。」
 教授が一つ咳払いをする。「エアは後頭部に引いて、背中のユニットに回す。それまでは自発的に呼吸してほしい。それと、こっちの・・・」
 教授の助手がカナル型ヘッドフォンを差し出す。
 「外の音もほとんど聴こえないと思いますので、イヤフォンを付けてください。」
 イヤフォンの延長コードの先には、パソコンがつながり、それのマイクが音声を拾うようだ。イヤフォンをつけて、頭を頭部にはめ込む。視界はピンホールの視界で、室内が暗く見える。
 口をくわえる。首の後ろのジップが下ろされると、首が絞まる感じがする。首までがマスクの部分で、継ぎ目はエプロンドレスの首輪状の襟で隠れる形だ。顔は、上向きで固定される。背中の開いていた部分が閉じられる。
 『聴こえますか?聴こえたら手を上げて下さい。』手を上げる。『水とエアを回します。呼吸を機械に任せてください。人工呼吸をされるような感じになります。いいですか・・・』
659名無しさん@着ぐるみすと
 突然、空気が強い力で肺から吸い出され、一瞬胸が詰まる。慌てて空気を吸おうとすると、空気が押し込まれる。体が咳き込もうとするが、出来ない。マスクを外そうとする指が首の後ろや顎を掻きむしるが、手がかりが無い。手足が何人かの手で抑え付けられる。
 『はい落ち着いて!』と耳元で声。『吐いて!』声は続く。『吸って!・・・いいですよ、吐いて!』
 軽いパニックで真っ白くなった頭が、機械が力尽くで呼吸を奪ったのを理解する。
 水圧が体にかかっている。さっきまでは椅子の感触が感じられていたのに、今はそれも無い。手足を押さえていた手が取り除けられる。耳元で、
 『君は、機械になった。』教授の声がした。
660名無しさん@着ぐるみすと
 夜、地下鉄のプラットホームで、背中合わせの二人が話す。
 『副都心線のその後の進捗状況は?』
 『進んでいません。もしくは、状況が変わりました。つまり・・・彼らは、
 終点まで乗るつもりがもう無いかもしれません。』
 『自発的に降りてしまった?』
 『恐らく。それと・・・いえ、これは次の報告に。』
661名無しさん@着ぐるみすと
 イヤフォンからの声。それはラボのPCの一台につながれ、マイクの音を拾っている。
 今日は技師さんがつきっきりになるようだ。教授の姿は無い。
 『簡単な練習をしよう。今からこのイヤフォンにクリック音を流す。音の鳴った方を向いてくれ。』
 技師の声。カッ、という音が右耳で聴こえた。ベネティアはそちらを向く。次は左で鳴る。左を向く。
 斜め右、斜め左、正面。次は背後・・・ベネティアは振り返る。
 『飲み込みがいいな。明瞭に聴こえるか?』ベネティアは頷く。首はかなり絞まっていて、回すと苦しい。『よし。ああ、以後自発的な行動はしない。』
 どういう意味だろう?
 『続けよう。二回鳴ったらそちらの方向に歩く。三回は走る。別の音は停止音だ。これは常に停止音であると覚えて欲しい。』
 前方でカカッ、という音。そちらに歩く。ピー、という音。立ち止まる。
 『次の音は動作の種類に関するものだ。音と指示を覚えてもらうことで、我々は君をプログラミングして動かすことが出来る。AIで自律行動させることも出来る。』
 特定の仕草をする。目の前のものを手でどうにかする。足でどうにかする。
 
 前に歩く。目の前の椅子を引いて、座る。キーボードをどうにかする・・・どうにかしよう。どうすれば・・・
 思考が考えるのをやめている。言葉が話せないと考えられないのかもしれない。言葉が思考だから、言葉で考えないと・・・
 >どうですか?
 そうタイプしてみる。指先もあまり動かせない。一本指タイプのようになってしまう。
 後ろから覗きこんで、技師がマイクに向かって言う。
 『問題ないよ。どうしたんだ?』
 >ええと、
 >これは、EXPOでやるdねすか?
 ミスタイプした。『------多分、そうすることになるだろう。体調は?』
 体調は・・・そわそわと動く。暑くも寒くもない。全身は痺れたように触覚なく、聴覚は音とホワイトノイズしか拾わない。呼吸は背中の機械にコントロールされている。口でものをくわえているので、よだれを時々飲み込む。
 >とろんとしてます。。。あ、トイレ行きたい。
 『ロボットはトイレに行かない。』という技師の返事。その後、別の声。『ジップを下からあけるとそのまま出来ます。材質的には汚しても構いませんので、じゃあ、行って来て。』
 うわぁ・・・なんだそれ。下のほうに手をやってみると、確かにダブルジップになっている。
 カサッ、という音がして、ホワイトノイズが消える。イヤフォンのコードが抜かれたようだ。向こうでは教授の助手がドアを開けて、廊下を確認したのが見えた。彼に教授が何か言って、女性のスタッフに声をかける。
 田村教授:「おいおまえ~。送り狼ちゃうんか?」
 助手:「ななななにゆうてはるんですか。そんなわけあらしまへんわ」
 ------とか、彼女はその情景に台詞を付けてみる。
 あの助手さんは後先考えずにそんなことが出来るようなタイプじゃないだろうけど。
662名無しさん@着ぐるみすと
 廊下に出る。突き当たりには姿見があり、そこにベネティアこと自分が映っている。
 こういう生物だ、種族だ、と言えばそれで通じる存在感。そこへ向かって歩きながら、うつむき加減だった姿勢と歩き方を修正する。
 ・・・その鏡の右手がトイレだ。スタッフさんは個室の前で待っている。習慣的に携帯のことを思い浮かべるが、今は当然身に付けていない。
 洋式便器を開けて、座る。股下からジッパーをつまんで、・・・つまみにくい。そのまま後ろに下げて、手で左右に押し広げる。そこだけ触覚が戻った感じになって、外気の感触が新鮮に感じられる。
 はー・・・・っと。気持ちいい。ビデとか使ったら悶絶しそうだ。
 やっぱり、早く脱ごう。脱がせてもらわないと。
 トイレットペーパーを巻き取る。
 
 『車両の公開はやはり中止になるのか?』
 『いえ、どう説明すればいいか・・・人が中から動かすということになるみたいです。』
 『そんな馬鹿な。一目でばれてしまうだろ?』
 『いえ、なかなか巧妙です。彼らは本気のようです。』
 
 メールのメッセージ。コミュニケーションの断絶を感じる。
 器械の中の孤独と、耳元のマイクの声。
663名無しさん@着ぐるみすと
 『ハードウェア制御の限界値を読み取りたいので、今日は定時までそのまま着ていて。』
 >まじで@@
 『じっとしていられると正規のデータにならないから、負荷をかけてみますか・・・音楽でも聴いてウマウマでも踊っててください。』
 助手がmp3をパソコンのミュージックプレイヤーに流し込み、指し示す。彼女はボリュームを操作する。ラウンジ・フロア系のストリクトなダンスミュージックでは無く、踊るにはやや速いBPMの曲。思考や理解よりも速くて心地良い。錆びも摩擦も無い心地良く動作する器械。
 最初は軽くリズムを取り、アクションが段々派手目になる。背中のユニットの冷却ファンが唸りを上げ始め、そこに少し熱を感じる。体から出た温度を熱交換でドレインして、金属の羽と空冷ファンで空中に逃がす仕組み。
 ちらっと教授達を見ると、彼らは何か話をしている。内容は聴こえない。
 助手:「せんせぇ~、これをロボットやゆうてEXPOに出していいもんなんでしょうか?」
 教授:「しょうがないやろ。期日もせまっとるし大企業の偉いさんにはせっつかれるし~。」
 そんな会話を想像する。技師と目が合い、彼は気まずそうに目を背ける。助手はパソコンの画面に体ごと視線を移す。
 
 ステージイベントでは、彼女-----ベネティアが自然に障害物を避けて歩いたり、階段を上ったり降りたり、キャッチボールをしたり、そして愛くるしく踊る姿を-------多くの来場者が見ていた。
 それが目の前にいる。背中を向けて、ギチギチと噛み合ったジッパー。その中には、生身の人間が居る。
 彼の知っている情報では、確かにその筈だ。それを暴けば山陰電気のロボット開発にダメージを与え、四星の市場占有の足掛かりとすることができる。彼はそのレイヤードに示すとおり四星のエージェントであり、退く事は出来ない。ジッパーに指をかける。
664名無しさん@着ぐるみすと
 ステンレスのデスクが、キャスター付きの椅子にその片方を乗せて傾けられ、その鋭角の頂点にベネティアが居る。腕は後ろ手にビニールテープで拘束され、背中から伸びたケーブルは天井の照明器具に引っ掛けられている。
 簡易的な三角木馬だ。
 ベネティアの足は机の角を挟み、体が二つに裂かれるイメージを予想し、それ故に身動ぎながら太腿に力を入れて体を支えている。
 冷却系は止まっていて、背中から股下までのジッパーから漏れ出した液体が流れ、ヌルヌルとステンレスの表面を塗らして、重心を変え、体を這い上げ、滑り落ちずに止まろうとする事をより困難にしている。
 熱い体温に合わせた荒い呼吸が、チューブを通して流し込まれる。
 彼女のステータスはパソコンのモニタに表示されて、それを助手がコーヒーを飲みながら眺めている。
 
 そして、四星のエージェントはジッパーを開いて、その肌を押し広げた。器械の熱、オゾンの匂い。意外にも隙間が多く密度の無いプラスティックのフレームと金属のシリンダー。
665名無しさん@着ぐるみすと
 「分かっていたのだ。」教授が彼に告げる。
 「あのタレントさんが産業スパイの類だと言う事も、そして君がここに来るであろう事も。だが、君が何者かは分からなかった。その主体がね。一体何者が我々の成果を盗もうというのか、ということが。
 だから、我々は罠を仕掛けたのだ。」
 「そんな・・・」
 「君の言葉を借りれば、告発には正義がある。我々は四星電器を告訴する。それにしても・・・」
 
 『あなたはスパイだったが、中々役に立ってくれました。』
 耳元で助手の声。
 『当初は、これはあなたが何も見ず、何も聴こえないようにして、かつ自分が事態の中心にいると思わせる為の手段だった。
 テクノロジーは複製可能だ。ベネティアの外装が複数あることも、君は気が付かなかっただろう。』
 動揺はきっとモニタに数値化されて映し出されているのだろう。
 『だが、それとは別に、僕は面白いことに気が付いた。3次元キャプチャによるモーションデータと器械の駆動の間には、抜け落ちる情報がある。だからその誤差をつかんで、短期間にベネティアを完全なものとすることが出来た。
 やはり、人間の犠牲が必要だったんだよ。機械が魂を購う為には。
 ・・・もう一つ面白かったのは、あなたが操作音の通り、なんの疑いも無くそれに乗ったことだった。
 -------さて、君をどうしよう?』
 ベネティアは優しい笑顔のまま、腰をくねらせて・・・木馬の鋭角の上で足掻いている。ジッパーが机の角に擦れて、ガリガリと音を立てる。
 電話が鳴るが、彼女には聴こえない。助手は電話を取る。ややあって、
666名無しさん@着ぐるみすと
 『黒幕が割れました。あなたは誰にとっても用済みだが・・・教授は、あなたを使ってもう少し研究をしたいようですね。
 同意しますか?・・・ああ、そうだった。』
 彼女の耳に、頷く、の操作音が鳴る。ベネティアは頷いた。-------機械として。
667名無しさん@着ぐるみすと
fin.

いささか乱調すぎるな・・・
面白そうな所だけ摘んで頂ければ幸いです。